私が撮らなかった残高まで末尾の三桁が増えたのなら、統制はもう意味をなさなかった。
死んだ帳簿は一人の手がたまに触れるだけで、三日に一、二桁育った。生きている帳簿は違った。自社の短期外貨借入金はあらゆる端末に入力され、あらゆる締めに書かれ、本社へ、韓国銀行へ、その先へと報告された。数百の手が、一日に何度もその数字を写し取った。私が一つ手を引いても、残高は数百の手の重さで育った。
私は割り当てのとおり、その生きた帳簿を撮りはじめた。どうせ育つ数字なら、育つ速さだけでも測っておくことにした。測量技師が坑の深さを測ったように。
毎日の締めの残高を一コマずつ撮り、索引に写さず目だけでその増加分を数えた。分節された目には桁が別々に届いたが、その代わり、桁が一日にいくつ育つのかははっきり見えた。
…育・つ・側・——・末・尾・か・ら…育つ数字があれば、減る数字もあった。本社の資金部が毎日掲示する外貨現況表には、借入金の隣に保有外貨が記されていた。返すための外貨。その数字は育たなかった。減った。借入金が末尾から膨らんでいくあいだ、保有高は先頭から削られていった。一方が育った分だけ、他方が擦り減った——測量技師の坑が深くなった分だけ、下げ振りの縄がほどけていったように。

私は二つの数字の速さを並べて書いた。借入金が育つ速さ、保有高が減る速さ。二本の線を引くと、どこかで交わった。保有高が零に触れる日。
借入金が育つのは数百の手が書くからだ。保有高が減るのは、その借入金を返すために擦り減るからだ。記録が一方を育て、その育った重さが他方を齧る。二本の線が交わる日、返すものはなく、返す日だけが残る。その日は——今月のうちだ。私はその日付を数えてみた。分節された目で二つの速さをたどり、二本の線が交わる点を押さえた。十一月の終わり際だった。その頃、返す外貨が零に触れる。国が借りたその数字が、国を呑み込む。
育つ数字を止める道は一つしかなかった。誰も書かないこと。写し取らなければ育たない——死んだ帳簿の丙の残高がそうであったように。しかし生きている外債を、誰にも書かせないようにはできなかった。数百の手を、すべての端末を、韓国銀行を止めることはできない。
世の中で誰も書かない数字は、ただ一つだけだった。
私の依願退職の日付。人事カードのあの空欄。誰も書いていない、だからまだ来ていないその日付。
誰も書かなければ、私は消えない。空欄のままである限り、その日は来ない。私はその一欄だけを、誰の手にも触れさせずに守ればよかった。
しかし私はすでに見ていた。前任者のフィルム、半分だけ露光したあの最終コマ。育つ残高の桁のあいだに、十二月██日が書かれていた。私の依願退職の日付は、空欄ではなかった。誰かがすでに書き留めていた。
数百の手が外債を書いた。すべての端末が残高を書いた。しかし私の依願退職の日付は——私が書かず、人事部も空けておいたのに——前任者のフィルムの上に、彼が消える前に、すでに書かれていた。
誰がそれを書いたのか。私でなく、人事部でもないのなら。
私は答えを知っていた。四束の表紙ごとに押されたあの一行が、答えだった。我々はもう少しだけ、見ている——見ているだけではなく、書いている。次の記録者の依願退職の日付を。育つ数字の桁のあいだに。
資料室の扉の隙間から、朝ごとに現金在高表が一枚ずつ押し込まれてきた。

現金在高。その日の締めの現金残高。会社がいま手に握っている、すぐに支払える金。資金部が毎朝、前日の締めの在高を印刷して各部署に回し、資料室にも一枚ずつ来た。私はそれをフィルム綴りのあいだに挟んでおくだけだった——生きた外債を撮るだけでも手が足りなかったので。
十一月十五日の朝、扉の隙間から押し込まれた在高表を拾い上げた。上端の日付を分節された目で読んだ。
十・一・月・十・六・日。十一月十六日。明日だった。前日の締めの在高ではなく、まだ来ていない明日の締めの在高が、今朝印刷されて回っていた。端末が画面に吐き出した明日の残高(十一月一日)と同じだった。ただし今度は画面ではなく、手に取れる一枚の紙だ。部署ごとに回された、いくつもの手がすでに触れた紙。
表の中の在高は小さかった。小さすぎた。返すべき短期外貨の満期が明日いくつか来るのに、それを返す現金が——明日の在高が——満期額に届かなかった。明日、会社は返せない。その事実が、今朝の紙にすでに書かれていた。
ふと電信手の日誌が浮かんだ。最後まで読むなと言われ、しかしすでに読んでしまった一行。
明日の日付で送信された電文が毎晩入ってきて、翌日、私はその電文が的中するのを見た。空の周波数の呼びかけは偽りを言わなかった。ただ、まだ来ていないことを言った。電信手は、受け取って書き留めよ、ただし応答するなという一行を破り、はじめて応答した。その瞬間に彼は聞く人から送信する人になり、ついには明日の日付の電文を送るその発信者になった。私はその日誌を思い浮かべながら、手にした紙を見た。受け取って書き留めよ、ただし応答するな。明日、会社が返せないというこの紙を見て私が何かをするなら——資金部に知らせるにせよ、満期を凌ぐにせよ——私は応答する人になる。
応答しなければ私は読む人だ。応答すれば、私は明日を送る人になる。電信手がそうであったように。しかし会社が明日返せないと知りながらじっとしていることを、職務と呼べるのか。じっとしていることも、一つの応答ではないのか。私は応答しないことにした。ただ一つだけ確かめることにした——明日の日付の在高表が、どこで印刷されて出てきたのかを。紙の下端には、印刷した端末の識別番号と時刻が小さく打たれていた。資金部の端末なら、誰かの手違いで時計がずれたのだと思うこともできた。私はその番号を分節された目でたどり読んだ。
資金部の番号ではなかった。資料室の番号だった。五か月放り込まれたままだったのを私が入れた、起動画面に NUMERUS NON MENTITUR と浮かぶあの与信端末。私の机の端末。
私はその端末で在高表を印刷したことがなかった。その端末では外債残高を照会しただけだ。しかし紙の下端の時刻は今日の未明、資料室に誰もいなかった時刻を指していた。明日の在高表が、私の端末から、私の押さない手で印刷されて出ていた。
私はまだ応答すると決めてはいなかった。それなのに私の端末は、すでに明日を印刷して部署ごとに回していた。発信者になると決める前に、私はすでに発信していた。
