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格付の下と潮の律動

Below the Rating and the Tide's Rhythm

  • 3,616字
  • 約7分

私の端末が明日を印刷すると知ってから、私はその前に座るのが怖かった。しかし十一月十七日、端末は私が座るより先に一枚を吐き出した。

格付会社の格下げ通知だった。自社の信用格付を、一段階下げるという。上端の日付は——十一月十八日。明日だった。まだ公表されていない格下げが、公表の一日前に私の端末へ届いていた。

それが的中することを、私はもう知っている。現金在高表がそうであり、端末の残高がそうだった。明日、格付会社はこの格下げを公表するだろう。そうなれば外国の債権者は短期外貨の借入枠を引き上げ、返す日は繰り上がり、保有高はより速く零へ向かう。格付というひとつの数字が下がれば、返せない外債はその分だけ重くなる。記録が一方を下げ、その下がりが他方を崩す。

起動画面のあの社訓が、請わずとも浮かんだ。

NUMERUS NON MENTITUR

格付も数だ。嘘をつかない。明日の格下げは真である——まだ公表されていないだけで。格付会社がそれを公表しようとしまいと、格付はすでに下がっていた。公表とは、すでに起きた下降を遅れて紙に写す仕事にすぎなかった。

私は通知書の格付欄を分節された目で読んだ。記号が別々に届いた。そして別々に届いた記号のあいだ、本来なら何もないはずの隙間に、次の記号が見えた。丸ごと読む目には見えなかったもの。

A・↓・B・B・B・↓・B・B・↓・…

格下げは一段階では止まらなかった。欄と欄のあいだを、格付は下がりつづけた。投資適格を過ぎ、投機的等級を過ぎ、デフォルト(D)に至った。そこで止まるはずだった。デフォルトは格付の底なのだから。しかしデフォルトの下、本来ならどんな格付もないはずのその隙間に、記号がまだあった。格付ではない記号。どの格付会社も付けない、名づけようのない欄が。

D・↓・██・↓・████・↓・██████。

測量技師の坑が四十八尋で止まらずさらに深くなったように。格付はデフォルトで止まらずさらに下りた。測るほど深くなる坑のように、読むほど下りていく格付。私はその下降のいちばん下を読もうと、通知書を灯りに近づけた。いちばん下の欄には格付の代わりに、ひとつの日付が記されていた。

通知書の下端にある「次回格付見直し予定日」の欄だった。格付会社が次にこの会社を見にくる日。

十・二・月・██・日。

十二月のあの一日。保有高が零に触れる日。前任者のフィルムが桁のあいだに書き留めておいた日。人事カードの空いた依願退職の日付。そしていま、格付会社が会社を見直す日。その日、格付はデフォルトの下、あの名もない欄まで下りているだろう。その日、会社は返せず、保有高は空になり、私は依願退職となる。

私は通知書を置いた。格付は嘘をつかなかった。会社は明日格下げされ、その格下げは欄のあいだを果てしなく続いて、十二月のあの一日に底ならぬ底へ触れる。デフォルトの下に格付はないが、空いた場所があり、空いた場所には日付があった。

その日付を書いた手は、現金在高表を印刷した手と同じだった。押していない私の端末の手。そして四束の表紙に同じ一行を押した、あの手。

端末が明日を印刷し、格付がデフォルトの下へ下りたあとも、会社は私に次の仕事をさせた。今度は為替だった。

資金部は毎日午前九時半と午後三時、外国為替銀行が公示するウォン/ドル相場を資料室の帳簿へ写し取らせた。書き取ること。私がいちばん得意で、そしていまはいちばん恐れている仕事。私は午前の公示を書いた。一ドルに九百何ウォン。ペンを離して顔を上げ、また伏せたとき、同じ欄の数字が少し大きくなっていた。午後の公示はまだ来てもいないのに。

はじめは手が震えて見誤ったのだと思った。しかし私はもう、この震えの正体を知っている。書かれた数は書かれた場所にじっとしていない。外債がそうであり、在高がそうであり、格付がそうだった。相場もそうだった。ただ相場は——戻ってくるという点が違った。外債は一方向に育った。相場は満ち潮のように上がってはしばらく引き、また満ちるときには前より一握り高く上がってきた。

私は分節された目で午前と午後の公示のあいだを読んだ。二つの公式の数字のあいだ、本来なら何もないはずのその隙間に、公示されていない中間の値が並んでいた。満ちて、引いて、より高く満ちて。一日に二度公示される相場の欄のあいだで、私は十三度の満ち引きを数えた。

満ち潮と引き潮。その言葉がどこから来たのかを私は知っていた。箱の二番目の束——灯台守の日誌だった。

潮時は一日に二度だと教わった。しかし私が灯を点し、数えはじめた日から、潮は二度では収まらなかった。数えた分だけ満ちた。十三度を数え終えると、十四度目の潮時が帳簿の次の欄を空けて私を待っていた。それで私はその欄に、十四度目の潮時を自分の手で描き入れた。

灯台守ユン・サンハク。彼は潮時を数えるうちに、数えるという行いが潮時を増やすことを知った。そして空いた欄に耐えられず、十四度目を自らの手で書いた。彼が書いたその潮は引かなかった。彼はその水の下へ、灯を提げて下りていった。

相場も潮時だった。公示されるたびに一度の満ち引き。そして私がそれを帳簿へ写し取るたび、次の満ち引きは前より高く満ちた。書き取る手が水位を上げていた。灯台守が灯を点して潮を増やしたように、私はペンを取って為替を増やしていた。固定相場という堤はそれゆえに崩れた。書きつづける限り、相場は固定されえない。書き取ることがそのまま満ちることなのだから。

社訓の下、灯台の図面にはもう一行があったと束は記していた。

LUMEN SUPER ABYSSUM CUSTODIT

光を深淵の上に守る。灯台の仕事とは深淵を埋めることではなく、その上に光をひとつ浮かべておくこと。しかし灯を点して深淵を覗き込む者は、覗き込んだ分だけ深淵を深くする。相場に底はなかった。格付がデフォルトの下へ下りたように、ウォンはどんな堤の下へも下りることができた。私はその深淵の上にペンという小さな光を提げていて、その光が照らす分だけ底は遠のいた。

私は明日、十一月二十日の午前の公示を書くために、新しい欄へペンを当てた。しかしその欄は空いていなかった。そこにはすでに数がひとつ記されていた——私の字で。堤と呼べるどんな線よりもはるか上、ウォンがもはや貨幣でなくなる場所の数字。その隣には小さな絵がひとつ描かれていた。引かない潮時を示すとき灯台守が使っていた、十四度目の潮時の標識だった。

そして私は、まだその欄に何も書いていなかった。

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