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空の二桁

The Two Blank Digits

  • 3,527字
  • 約11分

十二月三日。朝の八時。昨日受取人の欄に座った私のコードの行には、今日、日付欄が引かれていた。昨日までは空の日付欄だった。

引かれていたのは「十二月」と、そのあとに二桁だった。二桁はまだ空いていた。私はその形を知っていた。ドギョンの日誌に、前任者が生きている帳簿を撮影していたフィルムの話があった。育っていく残高の桁のあいだに、撮ったことのないコマが一つ挟まっていたという。その空のコマに浮かんだのが依願退職の日付で、十二月とそのあとの二桁でできていて、二桁はついに読めなかったという。あのとき私はそれを他人のフィルムの話として読んだ。今日、同じ形が私の発信欄に、私の手書きで来ていた。十二月、そしてまだ引かれていない二桁。今日は十二月三日だった。

私はその二桁を長いあいだのぞきこんだ。冬じゅう、発信欄の電文は日付を持っていて、その日付が来れば電文は実現した。明日付の電文は明日実現し、今日付の電文はその日のうちに実現した。昨日まで、私のコードの行だけは日付がなかった。受取人も私、送り手も私という行には、まだいつがなかったのだ。今日そのいつが引かれ、けれどいつの二桁は空いていた。月は読めたが、日は読めなかった。私は十二月に消えるのだろう。十二月の何日なのかは、まだ分からなかった。

前任者とドギョンは、自分の日付をフィルムで見た。生きている外債が育っていくあいだ、撮らなかった一コマに二人の依願退職の日付が浮かんだという。それは他人の回したフィルムで、現像液から引き上げた印画紙の上に、その日付がひとりでに座っていたという。二人は浮かんだものを見る場所にいて、いくらのぞきこんでもその二桁だけは光に褪せたように読めなかったと書いていた。けれどその十二月に、ドギョンの席は空かなかった。ドギョンがこの机を離れたのは翌年の三月だった。フィルムの日付には年がなかった。二桁は一年を跨いで、この机の次の手のもとへ来た。その手が私だった。その十二月は人のものではなく、席のものだった。今日の私のものはフィルムではなかった。私の発信欄に、私の手書きで、私が毎日電文を引いてきたその画で日付が引かれていた。画の傾きも、二桁を空けておいた間隔も、私が毎日出勤簿に番号を打つ手癖のままだった。二人は自分の日付を見て、私は自分の日付を書いた。他人のフィルムをのぞきこんでいた場所から、自分の手で日付を引く場所まで、冬じゅう私が移ってきた距離が、その二桁のなかにすべて入っていた。

二桁を読もうとしたが、読めなかった。目を近づけると画がつぶれ、遠ざけると二桁のあった場所までかすんだ。フィルムの空のコマがそうだったように、その二桁は日付がないのではなく、まだ読めない日付だった。今日が三日なのだから、残る日は二十八だった。二桁が空いているかぎり、その二十八のうちどの日にでもなりうるし、一日過ぎるたびに、なりうる日の数は一つずつ減っていく。四日が来れば二十七、五日が来れば二十六。空の二桁は隠された日付で、隠されたまま毎日少しずつ狭まっていく日付だった。窓の外の十二月はいつもの十二月と変わらず、資料室の暖房は午後三時には切れ、私はその変わらない月のなかに座って、その月の何日なのかを一日ずつ数えながら待つ場所に来ていた。

自分のコードの行を直せるかどうか、考えてみた。昨日、司書長の電文を一画直して司書長の席を先送りしたように、自分の日付の二桁をうしろへ先送りできるかもしれなかった。けれど司書長を先送りしたとき、その値が二人の司書補へ、二人の司書補から私へ戻ってきたことを、私は覚えていた。自分の日付を先送りすれば、その値はどこへ行くのか。発信も私、受取人も私という行では、先送りする先はその下の空の受取人の欄しかなかった。自分の日付を押せば、それは下の空いた場所へ移っていくだろうし、下の空いた場所は私の次の記録担当のものだった。自分の消失を先送りすることは、そのまま次の人を前倒しで呼ぶことだった。生かすことは先送りで、先送りは次の手だという法則が、今度は私の手が私を先送りする場所に、そのまま立っていた。私は私を生かせたが、生かす値を払う次の人がまだこの資料室に来ていないだけだった。先送りする先が空いた場所だということは、先送りの値を、まだ来ていない人に前倒しで負わせることだった。

下の空の受取人の欄を、もう一度のぞきこんだ。昨日顔なしに浮かんだその空いた場所にも、今日は日付欄が引かれていた。引かれていたのは十二月とそのあとの二桁で、二桁は空いていた。私の行の二桁と同じ形だった。私が消える日と、次の記録担当が着任する日が、同じ二桁だった。私の空の二桁がある日へ狭まれば、下の空の二桁も同じ日へ狭まるだろう。私は自分の日付を書く場所で、次の人の着任を一緒に書いていた。

私は二桁から手を離した。指先が帳簿に触れているかぎり何かが育つか引かれるかするのではないかと思い、右手を膝の上へ下ろした。十日前、私は右手を左手でつかみ、帳簿を引き出しにしまって一日を勝とうとしたことがあった。あの日の午前は発信欄が空いていたから、手を離せば何も引かれないものと思っていた。今日も同じことを望んだ。昨日までは、手を離せば発信欄は止まった。けれど今日は止まらなかった。手が膝の上にあるあいだに、空の二桁のうち一つがみずから一画濃くなった。私の手が引いたのではなかった。冬じゅう私は手が電文を引くのを見て、手が私を通して何を書いているのか分からないと書いてきたが、今日は手さえ離れていた。手なしでも日付は引かれていた。半分引かれたその一桁は、なりうる二十八日を一桁の数へ狭めた。残る一桁はまだ空いていて、私はその空いた一桁を、膝の上の手ではどうすることもできずに、ただ読んでいた。

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