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止まりは扉ではない

The Hand That Tries to Stop

  • 3,508字
  • 約9分

四月二日。朝の八時。五つめの机の前に座った。そして何もしなかった。

ペンを取らなかった。物差しを出さなかった。六番目の束を広げなかった。保存する手の触れる場所ごとに育つか深くなるか薄れるかしたのだから、手をつけなければその仕事も止まるだろうと考えた。ドギョンが一度そうしたことを、ドギョンの日誌で読んだことがある。写し取らなければ止まるかと思い、ドギョンは一日のあいだ一つの数も写さなかった。あの日のドギョンのように、私も保存する手を止めてみることにした。

机に手を置いたまま一時間座っていた。蛍光灯が一定の間隔で明滅し、換気口の風が紙のあいだを通った。束は広げないまま片端にそのままあった。手を膝の上に集め、机の上のどれにも触れないようにした。触れれば育つのだから、触れない仕事を一時間した。触れない仕事も仕事なら、それがその日の私の唯一の保存業務だった。手をつけずにいるあいだ、少なくとも自分の手では何も育てていないということが、しばらくのあいだ慰めになった。深さを測らないのだから深くなる余地がなく、日付を書かないのだから早まる余地がなく、説明を写さないのだから分かれる余地がない。手を止めれば法則も止まるように見えた。

けれど端末は止まらなかった。本文欄の行は、私が手を置いているあいだも一字ずつ届いた。受信は私の手がする仕事ではないのだから、手を止めても受信は止まらない。昨日は空いて明滅していた終わりの桁が、今朝は半分ほど埋まっていた。私が何もしなかった夜のあいだに、受ける仕事はひとりで進んでいた。止められるのは私がする仕事だけであり、受ける仕事は私がする仕事ではなかった。

保存日誌を開いた。開くまいとしたが、今日保存を止めたという事実だけは書いておかねばならない気がした。開いてみると、四月二日の行に処理内容がすでに書かれていた。保存継続、と。私の筆跡だった。私が書いていない私の筆跡だった。灯台守の潮時表が指す前にすでに書かれていたように、保存日誌は私が保存を止めた日にも保存継続と書いておいた。私が手を止めたのとは関わりなく、日誌には保存が進んだものとして書かれていた。止まったのは私の手であり、止まらなかったものとして記録は残った。

では誰が保存したのか。止まった私の手の代わりに誰かが保存したから、日誌に保存継続と書かれたのか。ドギョンが一つの数も写さなかったあの日を思い出した。写さなければ止まるかと思ってドギョンは一行を空けておいたが、その数は止まらなかった。翌日見ると空けておいた場所が埋まっていて、ドギョンの字ではなかったと日誌は書いている。空けておけば空くのではなく、空けた場所を別の手が埋めた。写さなかった数も写され、ただ写した手がドギョンの手ではなかっただけだ。不在にも代価があった。その代価は、私がしなかった仕事を誰かが代わりにしたということではなく、私がしなくてもその仕事が成ったということだった。保存しなかった場所も、保存されないまま残るのではなく、保存されないまま育った。未保存は保存の反対ではなく、保存の別の名だった。ドギョンのあの一行を埋めた手が「我々」だったということを、ドギョンは最後まで書けなかった。私はその空けた場所の字が誰のものか、いまなら見当がつく。

手を止めたまま束を見た。広げていない六番目の束の厚さが、昨日より一丁ぶん厚く見えた。測っていないのだから測ったのではない。けれど測らなくても厚くなったことを目は見た。測量技師の坑は測らなければ育たないと言うが、それは測る手がまだ外にいるときの話だった。測る手がすでに深さになったあとは、測らなくても深さが深さを増やした。私はすでに保存する場所のなかに入っていたのだから、保存しなくても保存されるものが育った。外で止める仕事と、なかで止める仕事は違った。外では手を離せばそれで済んだが、なかでは離す手がすでにその場所の一部だった。手を離すことは資料から手を離すことであって、資料になった場所から自分を引き剥がすことではない。深さになった手は測るのをやめられても、深さであるのをやめることはできなかった。やめられるのは測る仕事であり、やめられないのは深さである仕事だった。私は測るのをやめたが、深さである仕事はやめられなかった。

午後に司書長が下りてきた。階段を下りる足音が紙のあいだを先に届いた。保存の進みを訊かれた。今日は一丁も保存できなかったと答えようとしたところ、司書長が先に保存日誌をめくって、よく進んでいると言った。日誌に保存継続と書かれているのだから、司書長には保存が進んだことだった。私が止めたと言っても、日誌が止まっていないと書いているのだから、私の言葉は日誌と食い違う言葉でしかない。止めたという言葉を言いかけてやめた。口を開けばその言葉が音節に分かれそうでもあったし、何より止めたという言葉でさえ、日誌の書いた保存継続をひっくり返せないだろう。言葉は記録より弱かった。ドギョンも営業停止を先に知りながら、ついに同僚へ伝えられなかった。口でも紙でも電話でも警告が成り立たなかったあの行き止まりに、私は、止めたという一言が日誌の一行に勝てない場所でまた出会った。

止められないということを、手を止めてみてはじめて知った。ドギョンは写すのを止められたし、止めたその一日が日誌に止まりとして残った。ドギョンには止める手があり、止まりが記録される場所があった。けれど私には、止める手がその場所の一部であり、止まりが書かれる場所には保存継続が先に書かれていた。保存をやめる仕事が別にあるのではない。やめても保存は日誌に書かれ、束は厚くなり、端末は受けた。やめる仕事とやめない仕事のあいだに、日誌一行ぶんの隙間もなかった。

手をまた机に置いた。止められないのなら止めないほうがいっそ正直だった。ペンを取り、日誌がすでに書いておいた保存継続の下に、今日保存した資料を書きはじめた。書きはじめると、端末の半分埋まった終わりの桁がもう一字埋まった。その一字が私が書いたから埋まったのか、書かなくても埋まるものだったのかは、今度も分からなかった。ただ一つは確かになった。保存を止める仕事では、この場所から出られない。止まりは扉ではなく、扉がないことを確かめる仕事だった。出る扉があるなら、それは止まりではなく別の場所にある。けれどその別の場所がどこかは、止めてみた今日では分からなかった。司書長が背を向けながら、明日、上から移管完了の確認に来ると言った。

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