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応答する手

The Responding Hand

  • 3,753字
  • 約8分

二月二十一日。明け方の五時。端末をつけ直した。

空の電文は同じ場所にあった。発信欄が空、受信欄が空——そして本文欄。本文欄は昨日、端末を消す直前には一字だったのが、今朝つけ直すまでのあいだに一行を埋めていた。一行には社員番号が一つ書かれていた。末尾二桁が私の番号の末尾二桁と同じ番号。昨日、七つの部署の欠員番号が作っていた一列の末尾に、一単位を足したその番号だった。

次の一席の社員番号だった。

本文欄の字に見入った。手書きの形は、私がふだん社員番号をメモ帳へ写し取るときの形だった。ペンが紙に触れる角度、一画の起こしと終いの筆圧、一字から次の字へ手が渡るときの間——どれも私の手が社員番号を書くときの癖だった。

社員番号の最初の二字は会社コードだった。会社コードを書くとき、私の手には一画を引き終えてから手首をひと呼吸持ち上げ、それから次の画に入る癖があった。本文欄の最初の二字にも、そのひと呼吸の持ち上がりがあった。番号の真ん中、役職の桁で、私の手は一字のなかで筆圧をだんだん抜き、最後の画でまた圧を足す癖があった。本文欄の真ん中の字にも、その圧の変化があった。末尾二桁の一連番号では、私の手は二つの数字のあいだをふだんより狭く詰めて書く癖があった。本文欄の末尾二字も、同じ間隔で詰まっていた。

本文欄の手は私の手であるか、私の手と同じ癖を持つ別の手であるか、そのどちらかだった。

分けられなかった。端末を消しておいた七時間のあいだ、誰も私の机の前に座らなかったのなら——資料室の扉は明け方五時まで施錠されていたし、司書長でさえ五時前に出勤したことはなかった——あの字は私の手が書いたものではない。けれど字の癖は私の手の癖と同じだった。手の形が同じなら結果の手触りも同じだ、という一文を昨日書いた。今日はその一文が、もう一段深いところへ下りていた——手の形が同じなら、手そのものが同じなのか別なのかの境が消える。

本文欄のその一行を消そうとした。端末の一つのキーを押して字を消した。端末はしばらく、その字が消えたという表示を出した。けれどひと呼吸あとには同じ字が同じ場所にまた浮かんでいた。もう一度消した。また浮かんでいた。三度消して、三度とも同じ字が同じ場所に戻った。四度目には、端末は字が消えたという表示すら出さず、字だけがその場所に変わらずあった。五度目はしなかった。本文は消えない本文だった。

本文が消えないということは、本文が私の端末のなかにあるのではないという意味だった。本文は、端末が見せているどこか別の場所の本文だった。私の端末はただ、その本文を書き取るための装置だった。

発信欄に答えを書いて、本文が育つのを止めようとした。本文が育つあいだ発信欄が空のままであるなら、発信欄に何かが書かれれば本文は止まるだろう、という見立てがあった。発信欄の上へ手を持っていった。

発信欄に手を置いたその瞬間、本文欄の次の一字がひと呼吸先に書かれた。私が書くはずの字が、本文欄にはもう書かれていた。

手を離した。本文欄の次の字が止まった。

もう一度置いた。本文欄の次の字が、また、ひと呼吸先に書かれた。

私の手の動きが、本文欄が育つかどうかを決めていた。けれど本文欄は私の手よりひと呼吸先に書いた。書く主体と、書かれた結果とが離れていた——結果のほうが主体より先にあった。

発信欄から手を永久に離しておけば、本文は永久に止まるはずだった。端末は消さないまま、発信欄の上に手を置かないまま——応答しないという行いが、それ自体で応答になっていた。一席は閉じられないまま未完結に残り、本文欄の次の一字は書かれないまま、空のひと呼吸に残る。

朝の七時に司書長が出勤した。七時半に二人の司書補が出勤した。三人とも自分の机へ行って昨日終わらなかった名簿を広げ、私の端末の画面を一度ずつ見てから自分の作業へ戻った。発信欄の空いた電文が一通、端末の最初の行に浮かんだままなのは三人の見慣れた光景ではなかったが、誰も尋ねなかった。資料室の沈黙は明け方より濃くなった。司書長は、私が一時間のあいだ一字も入力しないのを一度見て、そのあとは自分の端末に視線を据えた。

午前九時。人事部の二度目の告知が上がった。会社の定員削減は二席から一席に減っていた。資料室の一席は昨日処理され、資源開発部の測量技師の一席も昨日処理され、その次の一席は——本文欄が書いたあの番号の席は——今日の告知になかった。

本文欄が書いた番号の席は、私が発信欄に答えを書かないかぎり、定員削減の次の一席として確定しなかった。本文は書かれていたが、結果は現れていなかった。本文欄が書いた答えを発信欄へ移すことが、その本文を結果に変えることだった。

他の部署の欠員番号の一列には七つの席が埋まっていて、その七つの末尾に一単位を足した一席は、本文欄のなかにだけ書かれていた。本文欄のなかの席は、会社の定員削減に入っていない席だった。発信欄へ移されれば入る席だった。

空いた発信欄の責めが、はじめてはっきりした。発信欄が空のままであるということは一席が閉じられないということであり、一席が閉じられないということは一人が生き残るということだった。私が発信欄の上に手を置かずにいるあいだ、私の知らないどこかの部署の、どこかの席の列にいる誰か一人が——同じ末尾二桁の社員番号を持つその人が——定員削減の対象から外れていた。

名は知らず、社員番号だけが本文欄に書かれていた。その番号の人を見たことはなかったが、その人が生き残ることは、私の手の止まりの上にあった。

端末を消さないまま机から立って、資料室の端まで行って戻った。端末はついていて、本文欄は一行で止まっていた。発信欄は空いていた。

本文欄は、私がまた端末の前に座る瞬間を待っていた。座れば手が発信欄に近づく見込みが生まれ、手が近づけば本文欄が一字育つ。本文が育つのを止めるには、端末の前に永久に座らないでいるほかなかった。

永久に座らずにいることはできなかった。

前任者も同じ場所に来ていたことがあった。あの人の日誌の終わり近くに、発信欄の上へ手を置いては離し、置いては離した、という記録があった。何を決めて消えたのかは日誌に書かれていない。書く主体が結果に先を越されるそのひと呼吸のなかで、手を置いたのか離したのかを日誌が書かなかった理由は——日誌を書いた手が、発信欄に手を置いたのか離したのかを知らなかったからだろう。結果が主体より先にある場所では、主体は自分の手の行いをあとから知ることができない。

今日、私がまた端末の前に座るその瞬間、発信欄の上に手を置くのか離すのかは——私に分かることではないのかもしれない。その見込みが、はじめて頭をよぎった。

机の前へ戻ると決める前に、資料室の窓の外の明け方の光が、一単位ぶん薄くなった。

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