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代価の加速

The Accelerating Cost

  • 4,538字
  • 約9分

結局、私はカン・ミンソクの延滞の行に応答した。彼を救おうとするその手が、彼を連れていく手だと知りながら。

二月二日。彼の延滞の行が危険の欄へ移った日、私は堪えきれずに発信欄を押した。借金を閉じた。翌日、彼の延滞は消えていた。けれど私はもう、その次を知っている。閉じたぶんだけどこかが開く。私は名簿を繰って、その開いた席を探した。探すべきではなかった。

開いた席は、カン・ミンソクのもう一つの行だった。借金を閉じると、今度は彼の健康保険の行が割れた。同じ人の三つ目の行。会社から抜いた重さが借金へ、借金から抜いた重さが体へ移っていた。私は彼を救うたびに、彼を一欄ずつ深いところへ移していた。会社は失っても生きられる、借金は負っても生きられる、けれど体は——

その日、私は初めてはっきりと見た。救う手と連れていく手は喩えではない。同じ一度の押しが、二つを同時にやっていた。カン・ミンソクを一つの危険から抜き出すことと、彼をより深い危険へ入れることを。私は彼が大切だから押し、その押しが彼を壊していた。ジレンマという言葉では足りなかった。ジレンマは二つの道から一つを選ぶことだが、ここでは一つの道が二つの結果だった。

私はその健康保険の行を見ながら、押さないことにした。今度は理由が違った。恐ろしいからではなく、押すほどに彼が深くなると知ってしまったからだ。けれど押さなければどうなるかも、私は知っていた。誰かが代わりに押すだろうし、代わりに押す手はカン・ミンソクを知らないのだから、どの行へでも彼を移すだろう。私が押せばより深くへ、私が押さなければどこへでも。どちらも彼を抜き出せない。私は名簿の前で、大切な人をどの欄で失うかを選んでいた。

はじめ、代価は数日おくれて来た。今はもう、押す前に来ている。

二月四日。最初の応答の代価は翌日に閉じた。二度目はその日の夕方だった。三度目は押す前に来ていた。今日、私は発信欄を押そうとして、押す前に隣の行がすでに割れているのを見た。代価が応答を追い越した。私が何をするかを名簿が先に知り、その代価を先に書きつけていた。

代価は速くなっただけではない。大きくなっていた。はじめは一つの行を閉じれば一つの行が開いた。一対一だった。先週は一つを閉じると二つが開いた。今日は閉じるそぶりを見せただけで三つが揺れた。応答するほどに行と行のあいだの紐が張りつめ、一つを引く力がより多くの行へ広がった。信号日誌にこんな一節があった——増幅が臨界に達すると、小さな入力が大きな出力を生む。私はその臨界へ近づいていた。

これが加速なのだと私は分かった。やめようと思えばやめられた時期は過ぎた。今は押さなくても代価が来て、押せば代価がより速く、より大きく来る。二つの道が同じ方へ、しだいに急に傾いていた。前任者のリールで、あの人の手がしだいに頻繁に発信欄を押していったあの加速——それはあの人の欲望ではなく、巻き込まれた渦の加速だったのかもしれない。あの人も止めようとしたはずだ。けれど加速が放してくれなかったのだろう。

私は端末から手を離し、しばらく両手を膝の上にそろえた。押さない時間を長く引き延ばしてみるつもりだった。けれどそのあいだにも、名簿の行は行どうしで閉じ、開いていた。私の抜けた席を次の手が埋め、代価の加速は止まらなかった。私はもう、この加速の運転者ではなかった。運転席に座っているだけで、アクセルはすでに床に貼りついていたし、それを踏んでいるのが自分の足なのかさえ定かではなかった。臨界が近かった。その向こうに何があるのかを、私はまだ知らなかった。

押しているのは自分だけだと思っていた。移管された箱のなかに、私は別の手が残した押しの跡を見た。

二月六日。営業停止になった会社の資料をもう一度整理していて、ある会社の記録担当のノートを開いた(以前、同じ手触りのプナコティックの箱を見たあの会社だ)。そのノートにも発信欄があった。そしてその欄には、押された跡があった。私と同じように、その人も応答していた。一度ではなかった。ノートの後ろへ行くほど押しの跡は繁くなり、ためらいの余白は短くなった。私の加速と同じ曲線だった。

別の会社のノートを開いた。同じだった。また別のノート。同じだった。危機が来たすべての帳簿の下に、同じ五番目の束があり、同じ発信欄があり、同じ手が応答していた。私は法則の唯一の機関ではなかった。数えきれない機関の一つだった。街のすべての資金部で、すべての営業店で、すべての清算資料室で、名も知らない手がそれぞれの名簿の前に座り、それぞれのカン・ミンソクを救い、それぞれの隣の人を連れていた。

この発見は二つを同時にやった。私をより孤独でなくし、より恐ろしくさせた。自分だけの罪ではないというのは慰めだった。けれど皆の罪だというのは、危機というあの巨大な訃報が、どれか一つの手の仕事ではなく、数えきれない手が同時に押した発信の合計だという意味だった。国が一冊の束だとすれば、その束のすべての章で手が応答していて、その応答の席の入れ替えが互いに絡まり、今日の訃報を書いていた。

私はそのノートを一か所に集めて長く見ていた。どの手が誰を救おうとして誰を連れていったのか、その絡まりを最後まで解くことはできなかった。解けないということが、この法則の最後の残酷さだった。誰も自分の応答の終わりを見られない。私が連れていった人を別の手が救ったかもしれず、私が救った人を別の手が連れていったかもしれない。すべての手がすべての手の結果を散らしていた。その散らばりのなかで止まることに何の意味があるのかを、私は次の章で問うことになる。

止まれば罪を免れると思っていた。止まることにも値がついていた。

二月八日。私は五日のあいだ押さなかった。名簿は開くが発信欄には手を触れない。それが私の見つけた最後の出口だった。五日のあいだ私はただ読むだけだった。受ける者へ戻ろうとした。けれど五日目の今日、私はその五日の値を受け取った。

私が押さなかった五日のあいだ、名簿の行は次の手へ渡っていた。その手は私ほど慎重ではなかった。私は少なくとも誰を移すのかを知って押した。次の手は知らずに押した。五日のあいだに私の資料室が受け持つ範囲の訃報は、私が押していた時よりも増えていた。私は慎重に罪を犯していて、私が手を離すとその席で誰かが無頓着に罪を犯していた。止まることの値とは、より無頓着な手へ渡した席の値だった。

続けても代価、止めても代価。二つの道の終わりが同じなら、それは選択ではなかった。その席で私は、出口がないことを確かめた。応答を始める前へは戻れない。一度発信欄を知ってしまった以上、知っていること自体が応答だった。押すことも、押さないことも、名簿の前に座っていることも、資料室を去ることも——どれであれ五番目の束の一章をめくる仕事だった。

五日ぶりに、私はまた発信欄へ手を伸ばした。免罪のためではなく、せめて自分が誰を移すのかを知って移すためだった。無頓着な手より慎重な手のほうがましだというその考えが、応答を続けさせる最後の言い訳だと私は分かっていた。けれど言い訳だと分かっていながら、手を引かなかった。出口のない部屋では、どの扉から出ようとする試みも部屋のなかをもう一周する仕事だった。カン・ミンソクの最後の行が、明日の日付の名簿のいちばん上で私を待っていた。

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