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受取人のいない箱

The Box With No Recipient

  • 4,327字
  • 約9分

十二月の最初の週が過ぎた。収束していく日付までは、まだいくらか間があった。けれど私はもう、その日付を恐れる人間ではなかった。私はその日付より後を、すでに記しはじめた人間だった。

受取人の名が空いたままの箱が、六日目も私の机のわきに置かれていた。プナコティック文庫のものだった。表書きには五番目の束が入る場所と、その束を受け取る次の記録担当の名を記す空行があった。私はまだその行を埋めていない。埋める名をまだ知らなかった。ただ、その行が空いていることが、いまでは脅しではなく約束のように感じられた。誰かが来る。私が前任者からこの席を引き継いだように。空いている行は、まだ来ていないという意味であって、永遠に来ないという意味ではなかった。

館内放送が一度鳴った。上の階の資金部のあたりがざわついた。私は判読機から目を離さなかったが、流れてくる言葉は聞こえた。今日の未明、九つの投資銀行に営業停止命令が下ったのだという。もう資金決済ができなくなった会社たち。名簿が順に読み上げられていった。

私はその名前を、すでに知っていた。

十一月じゅう、明日の日付で届いた現金在高表と、公表前に着いた格下げ通知のなかで、私はその会社たちの残高が零へ向かって下りていくのを先に読んでいた。今日は、私が数日前に読んだものが公式になった日だった。以前の私なら、それを偶然と呼ぼうとしただろう。理屈をつける学者の癖で、統計的な一致だとか、職業的な勘だとか。けれど私は十一月に最後まで読んでしまったし、理屈づけは最後まで読んだ者のものではない。先に読まれたものは予言ではなく、発現だった。帳簿の下で育っていた真の数が、ついに上の階の人たちにまで届いたのだ。数が育った場所で、会社がひとつずつ止まった。

放送が終わり、上の階のざわめきが引くころ、私は箱を開けた。

はじめ——まだ追われる読者だったころ——私はこの四束に偶然ぶつかった。写し取るべき古い書類の山のなかから、灯台守の潮時表が、測量技師の坑日誌が、司書の音節の記録が、電信手の電信日誌が、順序もなく私の手に入ってきた。私はそれらを、怯えたまま、飛び飛びに読んだ。最後まで読むなという戒めを破りながら、どこまでが最後なのかも分からないままで。追われる読者だった。

今度は違った。私は決めて読もうとしていた。

四束を机に並べて開いた。はじめから終わりまで、順に写し取るつもりだった。怯えた読者としてではなく——いまやその署名を自分の手で記した者として。「我々」のひとつの手として。何を次の読者へ写し取るべきかを知るには、まず腹を決めて、最後まで読まねばならなかった。怖くて目を逸らしていたものを、いまは職務として引き受けねばならない。それがこの席の仕事だった。記録担当の仕事。

四束にはそれぞれ標語があった。灯台守の潮時表の最初の頁には擦れた字で一行、水は同じ場所に二度は満ちない。司書の記録のいちばん前にはダンカンという神父の戒め。電信手の電信日誌には呼出符号があるべき場所に一文。そして測量技師の日誌の表紙には、鏨で刻まれたラテン語があった。格付端末の起動画面で私がはじめて読んだのと同じ文句だった。

NUMERUS NON MENTITUR.

数字は嘘をつかない。私はその四つを順に整理ノートへ写した。そうしながら分かった。四つの標語がどれも同じ一つのことを、別の言葉で記しているということが。測れば深くなる。記せば育つ。読めば移る。応答すれば発信する。四つはひとつの法則の四つの顔で、私はいまその四つを、ひとつの手で写し取っていた。

そしてそのとき、はじめてそれを見た。

私の字だった。たしかに私の手でいま記した字なのに、ひとつの語の文字どうしが離れていた。上の階で読み上げられていたあの言葉、営業停止と記したのに、紙の上でそれは四つの離れた字として読めた。誰かがそのあいだを鏨で押し広げたみたいに。

営・業・停・止

司書の日誌で音節が別々に届いていたあの分節が、いまは私が読む文ではなく、私が書く文のうえで起きていた。私はペンを止めた。最後まで読んだ者へ移るというそれが、読むことから書くことへ渡ってきたのだ。私はもう分節を読むだけの人間ではなかった。私はそれを記す人間になりつつあった。

自分の日誌の最初の章をそう記して、私は灯台守の潮時表を開いた。はじめから順に、決めたとおりに。最初の行を読もうとして、手が止まった。

その行は、以前に読んだ行ではなかった。同じ紙、同じ擦れた字だった。けれど表のいちばん下に、前にはなかった一行が新しく来て記されていた。測るたびに深くなる坑のように、読むたびに長くなる記録。腹を決めて読む者にだけ見える一行だった。

その行はこう始まっていた。五番目の手へ。

五番目の手へ。灯台守の潮時表のいちばん下、腹を決めて読む者にだけ見えるというその行を、私は最後まで読んだ。行は脅しではなかった。引き継ぎだった。それはこう続いていた——五番目の手へ。前の四つを順に読め。さすれば四つがひとつであることを見るだろう。

記録担当の癖が先に動いた。順に。私は四束を発行年の順に机へ並べた。測量技師の坑日誌(一九二三)、司書の日記(一九二四)、灯台守の潮時表(一九三四)、電信手の電信日誌(一九三七)。そして対照表を作りはじめた。どの束のどの行が、どの束のどの行と同じことを言っているのか。古い帳簿をマイクロフィルムへ写すときにいつもしていた仕事だった。索引。対照。相互参照。私は怯えた読者としてではなく、司書としてそれらに向き合った。

順に読むと、見えた。

四束は互いを引用していた。測量技師が測るたびに深くなると記した坑を、灯台守は引くたびに遠くなる潮時として記し直していた。司書が最後まで読めば音節が別々に届くと記したあの分節を、電信手は応答すれば発信者になるという禁忌として記し直していた。四人は互いを知らなかった。一九二三年の江原道の炭鉱と、一九三七年の東海の電信所のあいだには、何のつながりもない。それなのに彼らは、同じ一つの文を分けて記していた。まるでひとりが四度に分けて記したように。

私は各束の最後の行を別に写し取った。四行とも、一つの文の途中で切れていた。去年の秋、私はそれを知った——切れることがそのまま署名なのだと。結ばれなかった文が、彼らが法則へ入った印なのだと。けれどそのとき、私は四行を別々に見ていた。今度は順に、並べて見た。

測量技師:……私が岩に刻んだ一本の線は、擦れて消えていく次の線のために場所を空けておき

司書:……これ以上お読みにならぬよう、しかしこの行を読んでいるあなたはすでに

灯台守:……水の引いた場所は、印刷されたどの表も許さぬところまで続いていき

電信手:……次の当直者が名簿にない呼出符号で受け取ることになるその呼びかけが、やがて

四つの切れた行を順につないで読むと、それは一つの文になった。場所を空けておき、あなたはすでに、どこまでも続いていき、その呼びかけが、やがて——四人の手が一つの文を四つに分けて記していたのだ。そしてその文はまだ終わっていなかった。電信手の「やがて」の次に、句点がなかった。次のひと切れを待つ空白があった。

その空白に、字があった。

私の字だった。私の対照表の五番目の欄、まだ記していない欄に、一行がすでに記されていた。ついさっきまで空いていた欄だった。私はその欄に何も記した覚えがない。それなのにそこには、たしかに私の筆跡で、あの文の最後のひと切れが記されていた。

や・が・て・五・番・目・の・手・が・継・い・で・記・す

文字が別々に離れていた。司書の分節が、いまや私が書いた覚えもない私の字のうえで起きていた。私はそれを声に出して読んだ。やがて五番目の手が継いで記す。四人が始めた文を、五番目の手が結ぶ。その手は私の手だった。私が記すより先に記されていた手。

私はペンを置いて、机のわきの箱を見た。受取人の名が空いていたあの箱。五番目の束が入る場所。六日のあいだ空いていたその行に、何かが変わっていた。

空行の頭に、一字が来ていた。私が記していない字だった。姓の、はじめの一字。キ。その次の場所はまだ空いていたが、私にはそれが何という名の頭の字なのか分かった。私の名の、はじめの一字だった。受取人は、私だった。

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