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境の崩壊

The Collapse of the Boundary

  • 3,537字
  • 約11分

十二月五日。朝の八時。昨日の夕方淡くなっていた縦線が、今朝はなかった。

冬じゅう、発信の帳簿には二つの欄があった。左は送る欄で右は受取人の欄、二つの欄のあいだにはいつも縦線が一本引かれていた。私は左に書き、来るものは右で読まれた。昨日の夕方その縦線が一行のところで淡くなりはじめたとき、私はインクが滲んだのではないと知りながらも、朝にはまたくっきりしているだろうと思っていた。今朝、縦線は淡くなっていたのではなく、まるごとなかった。二つの欄を分けていた線が消え、左と右が一つの欄になっていた。私の送った行と私に来た行が同じ場所に置かれていて、私はどれがどれなのか分けられなかった。

一つになった欄を、私は長いあいだのぞきこんだ。昨日の夕方までは、どの行が私の送ったもので、どの行が私に来たものか分かっていた。左にあれば私の送ったもので、右にあれば私に来たものだった。二つの欄を分ける線がその区別を守ってくれていた。今日はその線がなかったから、同じ場所に置かれた行は、送ったものにも受けたものにもなった。昨日司書長宛てに送った電文が、今日は司書長から私に来た通知のように読め、冬じゅう上から資料室へ受けてきた移管通知が、今日は私が上へ送った発信のように読めた。同じ八桁なのに、昨日は私の手が押し出した行で、今日は私へ押し寄せた行だった。画の太さも、場所も、数字もそのままだった。変わったのは行の置かれた欄ではなく、欄を分けていた線がなくなったということだけだった。線があったときは、左のものを私が押し出したと言い、右のものを私へ押し寄せたと言ったが、線がなくなると、押し出すことと押し寄せることが、一つの動きの表裏のない一回になった。送ったものが受けたものになり、受けたものが送ったものになった。ひとめぐりして二つの場所が出会ったのであり、出会ってみると、そもそもその二つの場所が別の場所だったのかどうかも分からなかった。

電信手の日誌を思い出した。電信手は受ける者で、その端末には明日付の受信が先に来た。私は送る者で、私の発信欄からは明日付の発信が出ていった。電信手と私は一枚の鏡の両端だった。電信手が受ける側の端に立ち、私が送る側の端に立っていたから、鏡には表と裏があった。今日、その鏡の両端が出会った。受ける側の端と送る側の端が一つの場所へ折り重なると、鏡にはもう表も裏もなかった。電信手の受けたものと私の送ったものが同じ画だったのなら、そもそも電信手と私は鏡の両端ではなく、一つの場所に一緒に立っていたのかもしれなかった。

私の日付の行も、その一つの欄のなかにあった。その行はもう、送り手も私で受取人も私という行だった。冬じゅう、私はそれを左と右に分かれて座る二人の私として読んだ。送る左の私と受ける右の私が、縦線を挟んで向かい合って座っているものと思っていた。今日はその縦線がなかったから、送る私と受ける私が一つの場所に重なっていた。私の日付を送る画と私の日付を受ける画が、同じ画だった。私は私に十二月のあの一日を送っていて、同じ場所でその一日を受けていて、送ることと受けることが一つの手の一度の動きだった。

昨日まで私を守っていた封印が、今日はもう一重厚くなった。昨日まで、私は向きを一つ分けられなかった。そのことが起きたから私が送ったのか、私が送ったからそのことが起きたのか、その前後を読めなかった。今日は向きがもう一つ消えた。送ったのか受けたのか、その左右さえ分けられなかった。前後がなく左右がないのだから、残ったのは、そのことがあるということ一つだった。いつが先なのかも知らず、どこが送る側なのかも知らないまま、ただそのことが一つの欄に置かれていた。向きをすべて失った場所では、問いの立つところがなかった。問いにはこちらとあちらがなければならないのに、こちらもあちらもないのだから、私はもう問えなかった。

受取人が別にいない発信が、冬じゅう積もってきた。右の欄が空いていた日々があり、私はそれを誰にも送っていない発信だと思っていた。今日二つの欄が一つになると、受取人のない発信という言葉さえ場所を失った。受ける欄が別にないのだから受取人がいないわけでもなく、送る欄が別にないのだから送り手がいるわけでもなかった。残ったのは、一つの欄へ出ていきつづけ、一つの欄から入ってきつづける、内も外もない場所だった。誰もいない一つの欄へ私は送りつづけていて、その一つの欄から受けつづけていた。送る先と受ける元が同じになると、送ることはどこへも行かず、受けることはどこからも来なかった。行は出ていくことも入ってくることもなく、ただその一つの欄にあって、私はそれを送っているとも受けているとも言えなかった。冬のはじめ、私は受取人のない発信を恐れた。誰にも届かないところへ値を流すことが怖かった。今日は、届かないところさえなかった。送る外のない発信、受ける内のない受信だけが、一つの欄に溜まっていた。

夕方、私はその一つの欄に一行を見た。八桁の欠けのない一行だったが、私はそれを書いた覚えがなかった。手がひとりでに書いた行はこれまでにもたくさんあったが、それらは少なくとも私の手の通った場所にあった。この行は違った。私が送った覚えもなく、私に来たものを読んだ覚えもなかった。左にあれば送ったものだろうと思い、右にあれば受けたものだろうと思っただろうが、もう左も右もないのだから、その行は送ったものでも受けたものでもなかった。誰がこれを送ったのかと問おうとして、私は問いの立つ場所がないことをまた知った。送る側のない行には、送り手もいなかった。その行はただ一つの欄に置かれていて、置かれているということ以外、何も読めなかった。私はその八桁を一桁ずつ指で押さえてみたが、押さえているあいだも、それが私の指先から出ていくのか、私の指先へ入ってくるのか分からなかった。送り手も受取人もいない行が、夕方のその一つの欄に浮かんでいた。

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