私はそのあいだ、ひとつの可能性に寄りかかっていた。私が狂っているのであってほしい、と。増えていく残高も、明日の日付の在高も、デフォルトの下へ下りていく格付も——すべて私の目の病であってほしかった。病なら治りうるからだ。病なら数字は嘘をついたことになり、嘘ならば何も起こらないはずだからだ。
十一月二十一日の午前、その望みが崩れた。
資金部から回覧が下りてきた。取引先「テジョン実業」の手形が不渡りになったという通知。決済予定だった代金が戻らず、うちの会社が割り引いて保有していた手形の束が一瞬で紙切れになったという。回覧の不渡り金額の欄には、ひとつの数字が記されていた。
私はその数字を知っていた。
数日前、端末が吐き出した不渡り予定名簿の片隅に——そのときは意味が分からず、ただ写し取った一行があった。「テジョン実業、十一月二十一日、未決済」。その隣の金額は、いま回覧に記された不渡り金額と最後の一桁まで同じだった。あのときすでに記されていた数字が、今日、事実になって返ってきた。
妄想はその日の金額を持たない。妄想は取引先の名を当てられず、不渡りの日付を数日前に打ち込めない。私が狂っていたのなら、テジョン実業は無事でなければならなかった。しかしテジョン実業は不渡りを出した。私が写し取ったそのままに、その日、その金額で。数は嘘をつかなかった。私はいっそ狂っていることを願ったのに、端末は最後までその慰めを与えてくれなかった。
NUMERUS NON MENTITUR法則は私の頭の中にはなかった。それは外にあった。テジョン実業の手形に、会社の帳簿に、国の保有高に。私が見ようと見まいとそれは真であり、私が書こうと書くまいとそれは届いた。ただ私が書いたので、私はそれが届く数日前にそれを読んだ人間になった、というだけだ。読んだ者は移され、移された者は次の行になる。
資金部が大騒ぎだという。カン代理が昼食も抜いて手形の束を数え直しているのだと。私は地下でその騒ぎを音だけで聞いた。上の階の電話のベル、速い足音、閉まる扉。みなが不渡りが「起きた」と言った。私だけが、それが起きたのではなく届いたのだと知っていた。決まった日付に、決まった金額で、先に記された名簿の最初の一行として。
その夜、私はその不渡り予定名簿をもう一度取り出した。テジョン実業の行を指でたどった。最初の一行。名簿はそこで終わっていなかった。分節された目でその下を読むと、不渡り処理を待つ次の行が見えた。二行目、三行目、日付が一日ずつ手前へ寄りながら下りてきた。
そして名簿のある行に、取引先の名ではなく、うちの会社の名が記されていた。その隣の日付は——十二月██日だった。最初の一行が真だったのだから、その行も真であるはずだった。
法則が外にあるのなら、計算は単純に見えた。書けば育つ。ならば書かなければ——止まるだろう。私はその単純な計算に最後の望みを賭けた。
十一月二十二日、私は自社の短期外貨借入金元帳のその日の分を撮影して写す仕事を受け持っていた。私は心を決めて、一つの欄を空けておいた。その日もっとも大きく育っていた数——満期の繰り上がった外債の合計。その一欄だけを撮らなかった。フィルムのその場所は露光されないまま送られ、写し取る帳簿のその欄は白紙のまま残った。私はそれを書かなかった。書かないことで、その数をこの世に一度ぶん少なく存在させようとして。
はじめて、私は何かをした気がした。受けて書き取るだけだった手が、はじめて止まった。空いた欄を見下ろしながら私は思った——これが応答しないという方法だ。送信キーを押さないのではなく、受け取ること自体を拒むこと。白紙は安全だ。白紙には育つ桁がないのだから。
翌朝、私はその欄をもう一度見た。
欄は埋まっていた。私が空けておいたその場所に、数が記されていた。私の字に似ているが私の字ではない筆跡で。そしてその数は、昨日私が書いていたなら書いたはずの値より——大きかった。書かなかった代価が、書いた代価より重かった。傍らの余白には、小さな注記が一行添えられていた。
写し取らず。代わりに記す。代わりに記す。誰かが、あるいは何かが、私の空けておいた欄を埋めた。私が手を止めたその場所に、別の手が入ってきた。私はその筆跡をどこで見たのかを知っていた——四束の表紙に同じ一行を押したあの手。資料室の切ってあった端末が私の社員番号で応答を送ってきたあの手。注記の下には、序章の表紙ごとに押されていたあの署名が小さく打たれていた。
我々はもう少しだけ、見ている。空けておくことは安全ではなかった。空の欄は空のままでは残らなかった。私が書くのをやめれば、彼らが代わりに書いた——そして彼らの数字は私のものより大きかった。受けて書き取っているかぎり、私は少なくともその数の大きさを知っていた。書くのをやめた途端、その数は私の知らない大きさに育って返ってきた。不在は停止ではなく、統制の放棄だった。応答しなくても応答が届いたように、書かなくても帳簿は埋まった。
私はもう知っている。出口は書かないことにはない。書こうと書くまいと帳簿はその日の数を持つ。ただ書けば私がその数の著者であり、書かなければ「我々」が著者だ。選べるのは育つか止まるかではなかった。誰の手が書くか、だった。
そして「代わりに記す」の注記には、日付が添えられていた。私が欄を空けた昨日ではなく、先の日付だった——十二月██日。彼らは私がこれから空けるであろう欄まで、すでに代わりに記しておいていた。
十一月の下旬、上の階はもう事務所ではなかった。引き出しの窓口の前に人が列をなした。積立を解きに、預金を抜きに、昨日まで信じていたものを今日取り立てに来た人たち。電話のベルは鳴りやまず、誰かが声を上げ、誰かが泣いた。投資銀行は預金を受けるところではなかったが、それでも人は押し寄せた——金のありそうなすべての扉の前へ。
地下の資料室はその騒ぎから遠かった。分厚いコンクリート一層が上の悲鳴を綿のように吸った。ここにあるのはマイクロフィルム判読機の低いモーター音だけだった。同僚たちは私をうらやんだ。キムさんはいいですね、と。あの修羅場を見ずに済むのだから。地下は避難所のように見えた。

しかし私は知っている。避難所ではなく機関室だということを。上の階の引き出しは結果だった。その結果を作った数字が育った場所は、ここ、私の判読機の下だった。人が列をなして取り立てようとしている金は、すでに数日前、私が写し取った残高が零へ向かって減ったそのぶんだけ、そこにない。上の悲鳴が大きいほど、下のモーター音は平然としていた。私はその平然さの一部だった。
それでも私は撮った。止められなかった——書かないことがより大きな代価を呼ぶのを、私はすでに学んでいたからだ。だから列をなした人たちの引き出し伝票が資料室へ下りてくると、私はそれを一枚ずつフィルムに写した。取り立てていく金を、取り立てたというその事実を、私は記録した。引き出しさえ帳簿になり、帳簿になった瞬間、それも育ちはじめた。

ふと、四束がすべて十一月で止まっていることが浮かんだ。灯台守の最後の頁も、測量技師の途切れた日誌も、司書の最後の戒めも、電信手の途中で切れた文も——みな十一月だった。彼らの十一月。そしていまは、私の十一月だった。
判読機の画面に、いま写したばかりの引き出し伝票が一枚映っていた。口座名義は伏せられていたが、取引種別の欄に「全額引き出し・口座解約」と打たれていた。私は日付の欄を見た。今日ではなかった。
十・二・月・██・全・額。十二月のその日、誰かがひとつの口座を全額引き出して解約する。伝票の口座番号は個人のものではなかった。それは会社の本勘定の番号だった。上の階の人たちが列をなして取り立てているあいだに、十二月のその一日には、最後の一人が最後の口座を空にして閉じる。そしてその最後の引き出し伝票を資料室でフィルムに写す者は——その日まで依願退職になっていない、ただ一人の記録担当だった。
