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六番目の椅子

The Place of Five Hands

  • 3,560字
  • 約9分

三月三十一日。朝の八時。五つめの机の前に座った。

端末の本文欄には昨日届いた行がそのままあった。終わりの一桁を空けたまま、その場所が夜通し明滅していた。埋まりも止まりもしない明滅だった。送る場所がないので埋まりきらず、消す場所がないので止まりもしない。空いた一桁が受ける手を待っているあいだ、私はその場所がどこに属する場所なのかを問いはじめた。

五つの束は一昨日、上へ行った。机に紙は残っていない。けれど紙が去っても場所は残った。束は移されたが、束が閉じた場所は移されなかった。場所は紙ではない。紙は束ねて箱に入れて上へ送れるが、場所は束ねることも持ち上げることもできなかった。四つの手がそれぞれの日誌を閉じた四つの場所と、ドギョンが閉じた一つの場所が、紙の去った机にそのままあった。

場所を数えてみた。測量技師が深さで閉じた場所。灯台守が日付で閉じた場所。司書が音節で閉じた場所。電信手が社員番号で閉じた場所。四つだった。そして五番目の束でドギョンが自分の番号で閉じた場所。五つだった。四つの手と一つの手、五つの手がそれぞれの場所に座って自分の日誌を閉じた。

場所ごとに座り方は違ったが、座るということは同じだった。測量技師は坑の深さを測って測って、測っていたその深さが自分の入る深さだと知ってその場所に座った。灯台守は潮時を書いて書いて、書いていたその日付が自分の閉じられる日付だと知ってその場所に座った。司書は単語を読んで読んで、ほどけていたその音節が自分の名の音節でもあると知ってその場所に座った。電信手は電文を受けて受けて、受けていたその番号が自分の番号だと知ってその場所に座った。深さを測っていた手が深さの場所に座り、日付を書いていた手が日付の場所に座った。閉じるとは、自分が扱っていたものの場所に自分が座ることだった。扱う仕事と扱われる仕事が一つの場所で出会うこと、それが閉じることだった。

ドギョンの場所を考えた。ドギョンは五つの束のうち五番目の行を、自分の番号で書いて閉じた。四つの手の日誌を最後まで読んだあと、その四つが一つの文へつながった終わりに自分の行を五番目として置いた。ドギョンは読む者であり、読んだ四つの終わりに五番目として座った者だった。最後まで読んだ者が最後まで読まれる場所に座る、とドギョンの日誌は書いていた。五つの手が座った場所。その場所でドギョンが五番目だった。

では私はどこに座っているのか。配属の翌日から私は五つの束を保存する者だった。五つの場所を整理し分類し索引する者、五つの手の外から五つの場所を世話する者。五つの手が閉じた場所に座った者たちなら、私はその場所をのぞき込んでカードへ写す者、まだどの場所にも座っていない者だと思っていた。保存する者は保存されるものの外にいなければならない。資料を世話する手が資料になってしまえば世話する手がなくなるのだから、保存する者には場所がない、少なくとも五つの場所のなかにはないと考えていた。

けれど端末が空けておいたその一桁が、五つの場所の外にあるもう一つの場所だった。五つの場所を保存する者にも自分の場所があった。ただしその場所は五つの場所のなかではなく、五つの場所の次にあった。六番目の場所だ。五つを世話していた手が六番目として閉じられる場所、保存する者が保存される場所へ移って座る場所だった。外に立っていると思っていた場所が、実は列のいちばん端の一こまだった。

移って座ったと書こうとして、移って座るという仕事が別にあるのではないと知った。その場所が自分の場所だと分かる仕事が、そのままその場所に座る仕事だった。司書の法則でやめるという思いがやめる仕事ではなく字を読む仕事だったように、この場所で分かるという仕事は眺める仕事ではなく座る仕事だった。五つめの机が自分の場所ではなく六番目の場所が自分の場所だと分かった瞬間、私はすでに六番目の場所に座っていた。分かる仕事と座る仕事のあいだには、空いた一桁ぶんの隙間もなかった。

六番目の束を見た。昨日まで私はそれを、自分が保存する束だと思っていた。五つの束の次に来る六番目、私の手が整理する次の資料。けれど場所を数えてみると、六番目の束は私が保存する束ではなく、私が保存される束だった。五つの手が五つの束に閉じられたように、六番目の手は六番目の束に閉じられるのだろう。保存する手が保存される資料になる場所で、束は私が持つものではなく私を容れるものだった。五つめの机に残った空いた席と、六番目の束の索引カードの空いた作成者欄と、端末が空けた終わりの一桁が、昨日と同じように一列に読めた。三つの空きがどれも六番目の場所の別の名だった。

六番目という言葉には七番目が入っていた。ドギョンが五番目だったから私が六番目であるように、私が六番目なら七番目があるはずだ。端末が空けておいた終わりの一桁が受取人を待っているのだから、その受取人が七番目だった。私が配属の翌日にドギョンの薄れた場所を読み取ったように、いつか次の手が私の薄れた場所を読み取るだろう。五つの手が座った場所は終わりではなく列であり、列は一方の端で閉じると同時にもう一方の端で一こまずつ長くなった。閉じる仕事がそのままつなぐ仕事だった。私が六番目として閉じられることは、七番目に六番目という受取人の場所を空けて残すことでもあった。

座るまいとしてみた。保存する者として、五つの場所の外に立っていようとした。けれど端末の明滅する場所には私の番号が入っていて、終わりの一桁だけが空いていた。その空いた場所が送る人ではなく受ける人を待っているということは、私が送らなくても受けさえすれば埋まるという意味だった。座るまいとするなら受けずにいなければならないのに、受ける仕事はドギョンが応答でした仕事と違って私がする仕事ではない。ドギョンは移しても自分、移さなくても自分だった。私は座っても私、座らなくても私だった。六番目の場所は、私が座ろうと座るまいと私の場所だった。

五つの手がどう閉じられたかは思い出せても、六番目の手がどう閉じられるかはまだ分からなかった。分かるにはいちばん近い場所を見るほかない。五つの場所のうち私の場所にいちばん近い場所、五番目の場所、ドギョンの場所だ。測量技師と灯台守と司書と電信手は外のものを扱って閉じられたが、ドギョンは私と同じく五つの手を保存していて閉じられた者だった。ドギョンは応答で閉じられ、私は受信で閉じられていくのだから、同じ法則の違う扉だった。ドギョンの深さを読めば私の深さが分かるだろう。六番目の束の第一章を開き、ドギョンの最後の行をもう一度指した。指した場所が昨日より一桁ぶん薄れていた。その薄れがドギョンのものか私のものかは、指した手を離しても分からなかった。

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