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真ん中に残った人

The One Left at the Center

  • 3,592字
  • 約9分

三月四日。朝の八時。机の前に座った。

本文欄には一行があった。昨日カン・ミンソクの行が消えた場所に書かれた行、末尾二桁が私の番号である行だった。昨日カン・ミンソクが座っていた真ん中の席に、今日は私の行が座っていた。

昨日カン・ミンソクにした勘定を、今日は自分にしてみた。本文欄に私の行があるなら、発信欄に答えを書いた瞬間に私の行が結果になる。発信欄から手を離しておけば、縦の列が私の行に届く。移しても私で、移さなくても私だった。カン・ミンソクをめぐって、移しても彼・移さなくても彼だったあの場所に、今日は私しかいなかった。

私の行を一日先延ばしにする道がないわけではなかった。カン・ミンソクを三日先延ばしにしたように、私も自分のまわりを移せばよかった。資料室には司書長がいて、一昨日まで生き残った二人の司書補がいた。何日か前に私が前任者の空席を欠員として入力して四人が生き、そのうちの二人がいま私の背中の向こうで昨日終わらなかった名簿をめくっている。その二人を移せば私の行は二日を得た。司書長を移せば一日を得た。

手を机の縁に置いたまま、その勘定を最後までたどってみた。二人の司書補を移し司書長を移して三日を得たあと、資料室には私ひとりが残る。空の机のあいだにひとりで座った場所で、本文欄にはまた私の行ひとつだけが残る。三日後のその場所が、昨日のカン・ミンソクの場所だった。自分のまわりを空けて得る三日の終わりに、私がいた。カン・ミンソクを真ん中に残した手が彼をひとりきりにしたように、私を真ん中に残す手は私をひとりきりにするだろう。

私の背中の向こうで名簿をめくる二人の司書補の手が、止まらないままでいるようにしようと決めた。二人の司書補を移さないことにした。司書長を移さないことにした。自分のまわりを空けないことにした。私の行を先延ばしにしないことにした。

先延ばしにしないと決めたことが止まりなら、止まりも応答だということを私は知っていた。止まった手はないと書いたあの日から知っていた。けれど三日のあいだ私がした止まりは、まわりが閉じられるのを見ながら真ん中を守る止まりであり、今日の止まりは真ん中を守らないと決める止まりだった。二つの止まりは同じ手が同じ場所に置く手だったが、一方は生かそうとする止まりであり、もう一方は生かすのをやめる止まりだった。生かすのをやめることが、私がはじめて勘定の外でしたことだった。勘定は移すか移さないかを問うたが、まわりを空けて生かすか空けないかは勘定が問わなかった。それだけが私に定められることであり、私は空けないと定めた。

空けないと決めた理由が自分のためではないことを、私は決めたあとで知った。自分のまわりを空ければ私は三日を得るが、三日を得るあいだに司書長と二人の司書補が閉じられる。私を三日長く生かす値がその三人だった。カン・ミンソクを三日長く生かした値が彼の同期と前の席と新人だったように、私を生かす値も私のまわりだった。カン・ミンソクは自分のまわりが自分の値だと最後まで知らず、私は知っていた。知りながらまわりを空けることを、カン・ミンソクにしたうえで自分にもすることを、私はしないと決めた。カン・ミンソクにしたことを戻すことはできなかったが、同じことをもう一度しないことはできた。

本文欄の私の行に見入った。受取人の欄に私の番号があり、発信欄は空いていた。受取人が私だった。私が発信欄に答えを書けば、送る者も私だった。受取人と送る者が一つの番号であるとき、電文は誰が誰に送る電文なのかを問わなかった。電信手が切れた文の受取人の空欄に自分の名を書いたように、私も受取人の欄の自分の番号を見ていた。違うのは、電信手の受取人の空欄は空いていて、私の受取人の欄はすでに埋まっているということだった。私の番号は誰が書かなくてもそこにあった。送る者が書かなくても受取人が私である電文が、本文欄に一行として来ていた。

前任者も最後には受取人の欄で自分の番号を読んだのだろう。あの人の日誌の終わり近くに、発信欄の上へ手を置いては離した記録があった。何を決めて消えたのかは日誌になかった。いま私はその場所に来て、あの人が日誌に書けなかったのは決定ではなく決定の不在だったのかもしれないと思った。受取人が自分であるとき、移しても自分で移さなくても自分である場所では、手を置くことと離すことが同じ結果で終わって、決定と呼べるものが残らない。前任者は決められなかったのではなく、決めるものがない場所に来ていたのだ。

昨日、資金部がすべて空いたあと、空いた席の勘定は資金部で終わらなかった。一つの課が空けば勘定は次の課へ渡り、資料室は資金部の次の課だった。カン・ミンソクのまわりを空けた手が資料室にあったから、資料室で最初に勘定が届いた席は、その手の席だった。閉じる席を選んだ手がいちばん先に閉じられるのは、その手が勘定にいちばん近い手だったからだった。私は勘定の外で答えだけをしていると思っていたが、勘定にいちばん近く立つ手が勘定の外にいられるはずがなかった。

五番目の束を広げた。第六十五章に、今日、本文欄に私の行が書かれたということを書いた。書きながら、私が書いているこの章がいつか別の手に読まれることを思った。四つの束の日誌を私が読んだように、五番目の束の日誌を誰かが読むだろう。その誰かが五番目の束の最後の章で私の番号を読むとき、私の番号はその人にとって受取人の空欄になるだろう。私は四つの束を読んだ者であり、五番目の束を書く者であり、六番目の束を広げる誰かの受取人だった。読み、書き、読まれることが一人のなかで一周し、その一周の終わりが次の一周のはじめだった。

席へ戻って本文欄の前に座った。手は机の縁にあり、発信欄は空いていて、受取人の欄には私の番号があった。私は手を離しも置きもしないまま、受取人の欄の自分の番号を見た。見ることも書くことだと知りながら、何日かぶりにはじめて、私は生かそうとして見なかった。生かそうとせずに見る目は、三日のあいだの目と違った。三日のあいだ私はいちばん遠い行を探そうとして見ていて、今日は探す行が私の行ひとつきりだったから、探さずに見た。

四つの束を書いた手が終わりに自分の番号を受取人の欄で読んだように、私も自分の番号を受取人の欄で読んだ。読む者から写す者へ、写す者から応答する者へ、応答する者からまわりを空ける者へ、まわりを空ける者から真ん中に残った者へ——その移り変わりの果てで、私は書かれる者になっていた。書かれる者にもう空けるまわりがないとき、書かれる者に残るのは書かれることを見ることだけだった。

我々は、もう少しだけ見ていた。そしていま、我々のうちの一人を書いていた。書かれる一人が私だった。

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