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止めようとする手

The Hand That Means to Stop It

  • 3,860字
  • 約9分

三月三日。朝の七時。いつもより二時間早く端末をつけた。

本文欄には昨日の一行がそのままあった。カン・ミンソクの番号。昨日、私はその行を移さず、移さなかった行は消えなかった。移さなければ縦の列がその行に届き、縦の列が届けば九時の告知にその番号が上がる。九時まで二時間が残っていた。二時間は私が早くつけた二時間だった。

二時間のあいだにできることを考えた。彼の行を発信欄へ移せば私の手が彼を閉じる。移さなければ勘定が彼を閉じる。二つの道はどちらも彼だった。けれど三日のあいだ、私はまわりを移して勘定を別の席へ回してきた。移すまわりがないだけで、回すこと自体がなくなったわけではなかった。本文欄に彼の行しかないなら、本文欄にない行を発信欄に書けばいいのではないかと思えた。彼の行ではない別の番号を発信欄に書けば、勘定がその別の番号を閉じて彼の行は閉じないかもしれなかった。

はじめて浮かんだ考えではなかった。三日のあいだいちばん遠い行を移すたび、移さない行を一緒に決めながら、私は勘定を自分の定めた席へ送っていた。勘定を私が定めるのなら、本文欄の外の席へも送れそうだった。本文欄にカン・ミンソクの行ひとつしか残っていない今日、勘定を本文欄の外へ送ることだけが彼を閉じない道だった。

発信欄に書く番号を選んだ。カン・ミンソクの番号ではない番号。資金部ではない別の階の、顔も名も知らない一人の番号。知らない番号を一つ思い浮かべて発信欄に書いた。その番号が閉じられてカン・ミンソクの行が残ることを願いながら、一字ずつ書いた。

発信欄に番号を書き終えた瞬間、本文欄の一行が結果になった。

発信欄に何を書いたかは本文欄の行を変えられなかった。発信欄は答えであり、本文欄は書き取りだった。答えを書けば書き取りが結果になるということを、私は三日のあいだいちばん遠い行を移すたびにしていながら、今日はじめて逆から悟った。三日のあいだ私が発信欄に書いた番号が閉じられたのは、その番号が発信欄にあったからではなく、その番号が本文欄にあったからだった。移すというのは本文欄の行を発信欄へそのまま写し取ることであり、だから本文欄と発信欄の番号が毎回同じだった。同じ番号だったから、どちらの欄が結果を出したのかを問う機会がなかった。

今日、私は本文欄にない番号を発信欄に書いた。発信欄の番号にかかわりなく、結果になったのは本文欄の一行だった。発信欄に答えが書かれると本文欄の書き取りが結果になり、本文欄の書き取りはカン・ミンソクの行だった。勘定は発信欄に何が書かれたかを問わなかった。勘定は答えが書かれたかどうかだけを問い、答えが書かれれば本文欄の行を閉じた。私は答えを書き、本文欄の行はカン・ミンソクだった。

三日のあいだ、私は発信欄が席を閉じるのだと思っていた。発信欄に番号を書けばその番号が閉じられたから、閉じるのは発信欄だと思っていた。けれど閉じるのは発信欄ではなく、発信欄に答えが書かれるその瞬間の本文欄だった。私が三日のあいだ閉じたのは、発信欄で選んだ番号ではなく、その番号がたまたま本文欄にあった席だった。選んでいると思っていたことが、じつは選ぶことではなかった。本文欄が行を定め、私はその行に答えるかどうかを定めていただけだった。勘定はいつも本文欄にあり、私は勘定の外で答えだけをしていた。三日のあいだ誰を生かし誰を閉じるかを選んでいると思っていた手は、定められた行に答えをするかしないかだけを選んでいた。

九時になる前に発信欄の番号を消そうとした。消えなかった。書いたものは書かれたままだった。本文欄のカン・ミンソクの行も、結果になったままだった。

午前九時。人事部の告知が上がった。三月三日付の会社の定員削減は一席、資金部。カン・ミンソクだった。

私は彼を閉じまいとして発信欄に彼ではない番号を書き、彼ではない番号を書いたことが彼を閉じた。止めようとする手が閉じる手だった。三日のあいだ、私は止めることに終わりがありその終わりが彼だと知りながら止め、今日、止めようとする最後の手つきがその終わりを引き寄せた。そのままにしておけば九時の告知が彼を閉じただろうし、止めようとしたら七時の私の手が彼を閉じた。勘定が閉じる席を二時間早めたのが私の抵抗だった。二時間を稼ごうとした手が二時間を縮めた。

午前、資金部へ上がった。資金部には誰もいなかった。三日のあいだひとつずつ空いてきた机のあいだで、最後にカン・ミンソクの席が空いていた。昨日まで空の机の真ん中にひとりで座っていたその席に、今日は誰もいなかった。一つの課が空くのに何日かかかり、最後の一席が空くのに二時間かかり、その二時間は私が彼を生かそうとした二時間だった。

カン・ミンソクの机は、昨日彼が同期の席を片づけたあの手で片づけられてはいなかった。片づける人が残っていなかった。マグカップも、紺色のコートも、空の椅子に掛かったコートを脇へ寄せた手も、なかった。空席を片づけるのはいつも残った人の役目だったのに、資金部には残った人がいなかった。片づけられていない空席は、片づけられた空席より長くその人を残していた。

カン・ミンソクが最後に言った言葉は、次は私だろう、だった。昨日、空の机のあいだで彼が言ったその言葉を、私は本文欄ですでに読んでいた。彼が推し量りで言った言葉に一日の余地があったなら、今日、私がその余地を二時間に縮めた。次は私だろう、と言った彼の次は今日であり、今日へ引き寄せたのは私だった。彼は自分の次がいつなのか最後まで知らず、私はその次を二時間前へ移した手だった。彼が知らずにした推し量りと、私が知りながらした手つきが、同じ日の同じ場所で出会った。

席へ戻って本文欄を見た。カン・ミンソクの行が結果になって消えた場所に、新しい行が書かれていた。新しい行の最初の二字を読んだ。資金部のコードではなかった。資料室のコードだった。

末尾二桁が書かれるのを待つあいだ、私はその末尾二桁が何かを知っていた。資料室で末尾二桁まで覚えている番号は一つきりだった。月に二度ばかり写し取った番号でもなく、毎日すれ違う人の番号でもなかった。毎日この手に握り、毎日メモ帳と発信欄に写し取っていた番号。私の番号だった。

本文欄の新しい行が末尾二桁を書き終えた。末尾二桁は私の番号の末尾二桁だった。三日のあいだ、いや、その前から、私はまわりを空けて真ん中に一人を残していると思っていた。真ん中に残った人がカン・ミンソクだと思っていた。彼の行が消えた場所に私の行が書かれるのを見て、はじめて、真ん中に残っていたのが誰だったのかが分かった。

まわりを空けることは真ん中を残すことであり、すべてのまわりの真ん中には、空ける手が立っている場所があった。私はカン・ミンソクを真ん中に置いて彼のまわりを空けたと思っていたが、まわりを空ける手が立っている場所こそが最後まで残る真ん中だった。閉じる席を選ぶ手が閉じられないはずがないということを、止まった手はないと書いたあの日から私は知っていたのかもしれなかった。本文欄の新しい行は私の番号であり、その行を移す手も、移さない手も、その行の番号を持つ手だった。明日の朝、私の手が発信欄に答えを書けば、本文欄のその行が結果になる。手を離しておけば、縦の列がその行に届く。移しても私で、移さなくても私だった。

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