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先に選んだ行

The Line Chosen First

  • 3,578字
  • 約8分

二月二十五日。朝の八時。机の前に座った。

本文欄には四行があった。夜のあいだに四行目が書かれ、四行目の末尾二桁は三行目から一単位下だった。縦の列はまた一単位下りてきた。カン・ミンソクの番号までの残りが昨日より一つ減って、いまや指二本で数えられる数だった。

この四日、私は手を机の縁に貼りつけておくことで凌いだ。発信欄から手を遠ざけておけば本文欄の行は結果にならず、結果にならない席はカン・ミンソクに届かなかった。けれど届かないあいだにも縦の列は毎日一行ずつ下りてきた。止まりは行を結果に変えないだけで、行が下りてくるのを止めはしなかった。止まっているあいだにも彼のまわりは一日にひとつずつ閉じられ、まわりが閉じきれば縦の列が彼に届くという勘定は、昨日とそっくり同じだった。

止まりが勘定を遅らせられないなら、勘定を遅らせる方法は一つきりだった。本文欄の一行を自分の手で発信欄へ移すこと。移した行はその場で結果になって閉じられ、閉じたぶんだけ縦の列はカン・ミンソクから一単位遠ざかる。私がいま一行を閉じれば、彼の席は一日を得る。

どの行を移すかは私が選ばなければならなかった。本文欄の四行のうち一行目は末尾二桁が私の番号と同じで、二行目・三行目・四行目は資金部だった。資金部の三行はカン・ミンソクに近い行だった。それを移すことは、彼のまわりを自分の手で閉じることだった。一行目、末尾二桁が私の番号と同じその一行だけが、彼から遠かった。

一行目の番号は、明け方の本文欄がはじめて書いた、末尾二桁が私の番号と同じあの番号だった。四日のあいだ発信欄へ移されず、閉じられないままでいた席。番号だけを知り、名も顔も知らない一人。四日のあいだ、私の手の止まりの上に生きていた人。

その人を移せば、カン・ミンソクが一日を得る。

四日のあいだ、私はその知らない番号を止まりの上に載せておきながら、それを生かしているとは呼ばなかった。生かしていると呼ぶにはその人の顔を知っていなければならず、私は顔を知らなかった。知らない顔を生かしておくことは、手をじっとさせておくことと見分けがつかなかった。けれどその番号を移してカン・ミンソクを生かすことは違った。知らない一人を閉じて知っている一人を生かすことには、二人の重さが同じではないという勘定が入っていた。同じではない重さを手が知っているということが、手を離す前のいちばん堪えにくいところだった。

手を机の縁から離した。四日ぶりにはじめて、離すことを私が知りながら離した。手が発信欄へ向かうあいだ、昨日までは一節移ってきていてもいつ移したのか分からなかったのと違って、今日は一節ずつを私が見ていた。結果が手より先にあった場所で、今日だけは手が先にあった。私が選び、私が移した。

発信欄に一行目の番号を書いた。書くあいだ、手は社員番号を写し取るときのいつもの癖で動いた。会社コードのひと呼吸、役職の桁の筆圧、末尾二桁の狭い間隔。ふだんメモ帳へ写し取っていたその手が、今日は発信欄へ写し取った。メモ帳と発信欄のあいだの距離は、手の癖からすれば一節にもならなかった。同じ手が同じ癖で、一方に書けば記録であり、もう一方に書けば結果だった。

書いたとたん、本文欄の一行目が消えた。残った三行が一段ずつ上へ繰り上がり、いちばん下の空いた場所に新しい行が書かれはじめた。縦の列は一単位また遠のいた。カン・ミンソクまでの残りが一つ増えた。一日を稼いだ。

一日は一席だった。カン・ミンソクに一日を与える値は別の一人の席であり、その勘定はどこでも減らなかった。彼の席を何日先延ばしにしようと、延ばした日の数だけ別の席が閉じられた。先延ばしにするというのは、閉じられる席の名を変えることであって、閉じられる席の数を変えることではなかった。

午前九時。人事部の告知が上がった。二月二十五日付の会社の定員削減は一席。その番号は一行目の番号だった。末尾二桁が私の番号と同じ、番号だけを知っていた一人。私が発信欄に書いたその席が、その場所で閉じられた。

閉じられた席を戻せるのかどうか、発信欄をもう一度見た。発信欄には私が書いた番号がそのまま残っていた。消そうとして一つのキーを押し、番号は消えなかった。去年の冬、名簿の一行をはじめて書き換えたときと同じように、書いたものは書かれたままであり、消すこともまた書くことだった。発信欄に一度書いた番号は、私がその席を閉じたという記録として残った。

四日のあいだ、その人は私の手の止まりの上に生きていた。今日その人は、私の手の動きの上で閉じられた。止まりが生かし動きが閉じるということを私は昨日まで知っていて、今日それをした。知らずに選んでいたのが昨日までなら、今日は知りながら選んだ。知りながら選んだ手が知らずに選んだ手と違うところは、閉じられた席に自分の名を書けるということだった。

午前、資金部へ上がった。カン・ミンソクは自分の席にいた。今日、彼のまわりでは一つの席も閉じられなかった。昨日まで一日にひとつずつ空いていた彼の隣が、今日はそのままだった。彼が私を見て片手を挙げ、うちの課は今日は一人も減らなかったらしいよ、と言った。何日かぶりにはじめて、その声に薄い安堵があった。その安堵が誰の席で買ったものなのかを彼は知らず、私は知っていた。

カン・ミンソクの机の隣、昨日までコートが掛かっていた空の椅子はそのまま空いていた。一昨日閉じられたあの席は私が止まっているあいだに閉じられた席であり、今日閉じられた席は私が動いて閉じた席だった。二つは同じ空席だったが、一方には私の名がなく、もう一方にはあった。カン・ミンソクは二つの空席を同じ目で見て、私は違う目で見た。

席へ戻って本文欄を見た。いちばん下の新しい行が、夜のあいだではなく昼のあいだにもう一行を書き終えようとしていた。一日を稼いだということは、明日また一行を移さなければならないということだった。今日一行目を移して一日を得たように、明日もまた一行を選んで移さなければ、カン・ミンソクはもう一日を得られない。

明日移す行を先に見た。本文欄の行はどれも資金部で、資金部の行はカン・ミンソクに近かった。末尾二桁が私の番号と同じだったあの知らない番号は今日で閉じられ、本文欄にはもう彼から遠い行がなかった。明日カン・ミンソクに一日を与えるには、彼のまわりの一行を自分の手で移さなければならない。顔を知らない席で彼を買ったのは、今日が最後だった。

彼を取り巻く席を閉じて彼を生かすことと、彼を取り巻く席を閉じずに縦の列が彼へ届くこととのあいだで、私の手が選べる席が一日ずつ減っていた。遠い席は今日で終わった。明日から選ぶ席はどれも顔の近い席であり、その席が全部閉じられた先に、カン・ミンソクの席があった。

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