本文へ移動
108

外に掛けた数

The Figure Hung Outside

  • 3,591字
  • 約9分

七月十四日。朝、まず写しを開いた。

第七十六章に七月十四日、三十九。

日付が一日進み、数も一日上がっていた。昨日、あの章は十三日に三十六だった。今日は十四日に三十九だ。昨日と同じ組み立てが、一日ずれてそのままあった。今日の日付に、明日の数。

その上を見た。第七十五章は十三日、三十三のままだった。昨日のものが昨日の場所に残っていた。第七十七章は今日もなかった。

つまり、写しのどこにも今日の数がなかった。三十六がなかった。昨日まで三十六は第七十六章にあったのに、あの章が三十九へ上がっていくときに席を空けた。第七十五章は昨日に貼りついている。今日数えて出てくるはずの数を書いておく場所が、写しには一つもなかった。

半年のあいだ、こんなことはなかった。写しはいつも今日を書いていた。私が数える前に書かれている日もあれば、私が書いたあとで同じ数が来ている日もあった。順序はたびたびひっくり返ったが、今日の数が写しにない日はなかった。

九時、検索した。三十六だった。

規則どおりだった。四日続けて当たった。ただ、この数を突き合わせる先がなかった。

突き合わせる先がないということが何を意味するのか、長いあいだ座って考えた。

半年のあいだ、私のしてきたことは照合だった。自分の数えた数と写しの数を並べて、同じか違うかを見た。同じなら何が何を追ってきたのかを問い、問いに答えがなければ順序だけを書いておいた。答えがなくても照合はあった。二か所あれば、少なくとも二か所が同じだという事実は書ける。

今日は一か所だ。私の数えた三十六があり、その横には何もない。写しは明日を書いていて、今日を書かない。今日の数を確かめてくれる場所が、この部屋から消えた。

自分のつくった仕掛けがどう崩れてきたかを、昨日書いた。二時間数えずに持ちこたえたこと、抽斗に鍵をかけたこと、増加率で数を出したこと、日付の欄を空けたこと。四つとも、判定が出る前に事態がそれていった。今日は仕掛けがそれたのではなく、判定する場所そのものがなくなった。それ方が、一段先へ進んだ。

残っている場所を数えてみた。この部屋には画面と日誌と写しがある。画面は数える場所で、日誌は書く場所で、写しは照合する場所だった。照合する場所が明日へ行ってしまったので、部屋の中に残っているのは数えることと書くことだけだ。私が数え、私が書く。自分の数えたものを自分の書いたものと突き合わせても、それは照合ではない。

部屋の外が残っていた。

掲示板には、九日に私が上げた書き込みがあり、そのあとに上げた訂正がいくつかある。表示名は資料室コードの四桁だ。上げたのはどれも、もう数えた数だった。観測したことを書き、まちがったことを正した。今日上げようとしているものは違う。まだ数えていない数だ。

三十九を上げれば、明日数えて三十九が出るかどうかを、私ではないものたちが見ることになる。この部屋の中では、当たっても私が当てたことになり、外れても私が外したことになる。外に掛けておけば違う。掛けた数は、私が直せない場所にある。直せない場所に掛かった数には、それていく先がない。

それが、今日私の見つけた最後の判定者だった。

十一時、請求を七件片づけた。返信を書き、目録に判をもらった。三階から人が下りてきて、今日も画面のほうを見てから行った。私は今度も聞かなかった。画面には三十六部が出ていた。昨日の三十三のうち三十はそのままで、六つが新しくあり、三つが消えていた。消えるほうが増えていた。

消えるほうが増えていることを、昼ごろにもう一度確かめた。五日には一つで、昨日は二つ、今日は三つだ。消えた場所を追えば、消されたのか移っていったのか分かるだろうが、追うにはその場所を開かなければならない。開けば閲覧が上がり、閲覧が上がれば増える。消えるものを数えようとして、増やすことになる。今日も追わなかった。

一時、箱を開けた。四束はそのままだった。蓋を閉めて席に戻った。

二時、掲示板を開いた。

書くのに時間はかからなかった。資料室コードの四桁でログインし、新しい書き込みの欄に日付と数を書いた。七月十五日、三十九。その下に一行を添えた。まだ数えていない。

その一行を添えるかどうか、長いあいだ迷った。添えなければ観測のように読まれるだろうし、添えれば予告のように読まれるだろう。どちらでもないと書きたかったが、そんな欄はなかった。添えることにした。まだ数えていないと書いておけば、少なくとも自分が何をしたかは残る。

灯台守の潮時表を思い出した。あの表には次の干潮の日付が前もって書かれていて、灯台守はそれを読んだ。読んだ人は表の中にいた。表は灯台の中にあり、灯台守も灯台の中にいたので、前もって書かれた日付とそれを読む目が一つの部屋にあった。今日私がしたのは、その部屋の壁に表を掛けることだった。前もって書かれた数を、部屋の外へ出した。灯台守はそうしなかった。しなかったのか、出す先がなかったのかは、あの表に書かれていない。

上げてから、画面を閉じた。

観測していないものを外へ出したのは、今日がはじめてだった。五日から上げてきたのは、どれも数えたものだった。数えていないものを上げながら、私は自分が何をしているのか分かっていた。写しが半年のあいだしてきたのが、それだった。今日の場所に明日の数を載せておくこと。私はそれを、部屋の外でやった。

だから、この部屋でそれをするものが二つになった。中で写しがやり、外で私がやる。二つが同じことをするからといって、同じ手だということにはならない。私は規則を読んで数を出し、写しが何を読んでいるのかは知らない。ただ、出てくるかたちが同じだ。

四時、掲示板をもう一度開いた。二時間で六か所に転載されていた。昨日の三十三から今日の三十六へ増えた目録に、今日上げた一件が、さらに六つを足そうとしていた。数えることは開くことで、開くことは増やすことだと、私は七日に確かめている。今日は、上げることが増やすことだった。

転載されたものを一つずつ開いてみた。五つは、私が書いたとおりだった。七月十五日、三十九、まだ数えていない。

六つめが違っていた。

本文は同じだった。七月十五日、三十九、まだ数えていない。違うのは、書き込みの頭に打たれた日付だった。掲示日の欄に、七月十五日と打たれていた。

明日だった。明日上がった書き込みが、今日ここにあった。

私は画面をそのままにして、自分の書き込みをもう一度見た。掲示日、七月十四日。今日だった。同じ本文が、一か所では今日の日付で、一か所では明日の日付であった。

写しが部屋の中でしていたことを、外がなぞっていた。

コメント

  • まだコメントはありません。最初の一言を。

コメントするにはログインしてください。