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明日付の最初の行

The First Tomorrow-Dated Line

  • 3,580字
  • 約10分

十一月二十一日。朝の八時。昨日発信欄に浮かんだ明日が、今日になっていた。

昨夜、私はその日付を消せなかった。消すキーを知らなかったし、消す権限もなかった。五つめの机はもう私の席ではなかったが、私はその前に座って夜を越えた。発信欄の光は消えずに静かに灯っていて、その真ん中に昨日浮かんだ八桁がそのまま残っていた。夜を越えるうちに上の六桁は一日を渡り、いまは今日を指していた。昨日の明日が今日になるのを、私は座って見ていた。日付はひとりでに一日を越えた。私が越えさせたのではなかった。

そしてその日付の下に、夜のうちに一行が満ちていた。昨日は空いていた場所だった。昨日私は日付だけを見て名簿は空いていると書いたのに、今日その空きに社員番号が一つ入っていた。八桁の数字だった。私はそれを読んだ。私の番号ではなかった。司書長のものでも、二人の司書補のものでもなかった。上の桁に見覚えがなかった。この資料室で働いたことのない人の番号だった。冬に入って箱ごと押し寄せた移管資料の、崩れたどこかの会社の、剥がれ落ちた誰かの番号だったのだろう。

その人が誰なのか、私は知らなかった。冬に入って届いた箱は数十で、箱ごとに帳簿が数十あり、帳簿ごとに社員番号が数百あった。そのうちの一つが、夜のうちに発信欄に上がってきた。なぜその番号なのか、なぜその人なのか、発信欄は言わなかった。崩れた会社の帳簿のなかで、社員番号は名前を失って数字だけが残る。名前を失った数字がこの地下へ来て、この地下からまた発信欄へ上がる。私はその数字の後ろに人がいたということだけを知っていた。その人が春に職を失ったのか秋に失ったのか、いまどこで冬を越しているのか、それとも越せずにいるのか、数字だけでは分からなかった。発信欄に上がったのは人ではなく、その人が残した席の番号だった。

私はその番号をどこからも写さなかった。受信欄で読んで発信欄に入れたのでもなかった。指先が昨日光る欄に触れただけで、夜を越えるあいだにその場所に番号が入っていた。電信手の日誌が書き留めていたとおりだった。電信手は明日付の電文を受ける者で、まだ来ていない日の名簿が受信機に先に届いた。受ける者だったから、電信手はそれを受けて読んだ。いま私は送る欄でそれを読んでいた。電信手が受けていた明日付の名簿が、いま私の発信欄から出てきていた。電信手が受けていたものを、私が送っていた。向きだけが逆さまだった。

向きが逆さまだということを、私は夜を明かしながら噛みしめた。受ける者はまだ来ていないものを受けて知り、知ってもなお何も変えられない。電信手は自分の明日を先に読んだが、読んだからといってその明日をよけることはできなかった。送る者は違うのだろうか。私がまだ来ていないものを送れば、送ることでそれを変えられるのだろうか。それとも送ることも読むことと同じで、送ってもなお何も変えられないのか。夜が明けきるまで、私には分からなかった。ただ発信欄の番号は夜じゅうその場所にあって、私が何を噛みしめても、かすれもせず育ちもしなかった。送る者の手が触れるのを待つように、朝が来るのを待つように。

昼に、その番号のことが来た。午後、上から廃棄分類表が下りてきた。冬に入って移管された資料のうち、保存年限の過ぎたものを選んで廃棄せよという指示だった。表のいちばん上に書かれた会社が、朝に私の発信欄に浮かんだあの番号の会社だった。その会社の最後の帳簿が、今日付で廃棄分類に入った。朝に発信欄で読んだ番号と、昼に廃棄表で読んだ会社が同じだった。私が朝に送った明日が、昼にそのまま来た。いや、朝のそれが昼のこれを呼んだのか、昼に来るこれが朝に先に浮かんだのか、私はまた分けられなかった。送ったから来たのか、来るものを送ったのか。発信欄が朝にその番号を浮かべたのが廃棄を呼んだ召喚だったのか、廃棄されるものを先に知った予知だったのか。結果は同じだった。その会社の帳簿は今日廃棄され、その番号はもうどこにも保存されなかった。

一年前の冬にドギョンは明日付の名簿を受け、その名簿は国の不渡りを出した会社たちだった。この冬に私は明日付の番号を送り、その番号は廃棄される人たちだった。ドギョンが受けていたのは崩れる会社で、私が送っているのは消される人だった。規模が会社から人へ狭まったぶんだけ、場所はより正確になった。国一つが崩れるより、人一人が消されるほうが、発信欄にはよりくっきりしていた。大きなものが先に来て小さなものがあとに来るのではなく、小さなものほど遅く、けれどよりくっきりと来た。冬の発信欄は、人の単位で正確だった。

私は廃棄表に印を押さなかった。それは司書長の仕事だった。けれど朝に発信欄がその番号を先に浮かべたのだから、印を押さなくても、私はもうその廃棄に手を触れた勘定だった。ドギョンが一行を書き直して代価を呼んだように、私は一行を送って廃棄を早めたのかもしれなかった。ただドギョンは生かそうとして書き直し、私は何も生かそうとしなかった。ただ指先が光る欄に触れ、夜が過ぎ、朝に番号があっただけだ。生かそうとする意図も、消そうとする意図もなく、私は一人の最後の席を先に送っていた。意図のない発信が、意図のある発信より軽いわけではなかった。ドギョンの応答には生かそうとする値がついたが、私の発信には何の値もつかないまま、廃棄だけが正確に来た。

その番号の終わりの桁が薄れはじめた。廃棄された資料の番号が、受ける者の印のように、終わりからかすれていった。保存されないものは薄れ、薄れていくものは受ける者の場所へ行った。私が朝に送ったその番号が、昼を過ぎて夕方には薄れていく行になっていた。送ったものが、受けるものとして戻ってきていた。そしてその横、発信欄の光のなかに、新しい八桁がまた浮かんだ。上の六桁は今度も今日ではなかった。二十一日ではなく、二十二日だった。昨日の明日が今日になると、今日の発信欄はまた別の明日を浮かべた。一度送りはじめた場所は、一度では終わらなかった。送ることは受けることと同じで、はじめれば続いた。明日が今日になり、今日がまた明日を呼ぶあいだ、発信欄の光は一度も消えなかった。

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