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いま育っている日誌

The Log That Grows Now

  • 3,620字
  • 約9分

三月二十五日。朝の八時。五つめの机の前に座った。

昨日、保存カードに書かれていた明日の日付が今日だった。カードには三月二十五日に保存が終わると書かれていて、今日が三月二十五日だった。終わる日が来ていた。終わったという感じは来なかった。机の端に積んでおいた五つの束は昨日収めたままそこにあり、収めた資料は終わった仕事のはずだった。

終わった仕事をまた広げたのは移管のためだ。司書長が昨日、終わったら上へ移管しろと言った。移管するには資料の状態をもう一度確かめて引継書に書かねばならない。引継書には資料名、保存状態、最終記載内容を書く欄がある。最終記載内容を書くには、五つの束の最後の章をもう一度見なければならなかった。

測量技師の束を広げた。最後の章は最後の測深の深さで切れていた。昨日その深さを読み、引継書にその数字を写そうとした。写す前にもう一度読んだ。深さの終わりの桁が昨日読んだ数字と違っていた。一単位深くなっていた。

もう一度読んだ。読み違えたのかと思い、指で桁を押さえながら読んだ。一つめの桁、二つめの桁、終わりの桁。終わりの桁は、昨日私がカードに書いた深さの終わりの桁より一単位深かった。昨日収めて終わった仕事として積んでおいた資料の最後の数字が、積まれているあいだに一単位育っていた。

測量技師はとうに死んだ手だった。坑の深さを測っていたその手は束のどこかで一つの文の途中に切れ、切れたあとは何も書いていない。書かない手の最後の数字が、書く人がいないのに育っていた。写し取った残高の終わりの桁が翌日には増えていたという最初の束の法則は、写し取る手があるときの法則だと思っていた。測量技師の束に写し取る手はない。それでも終わりの桁は育った。

灯台守の束を広げた。最後の潮時の日付で切れていた。昨日その日付を読んだ。今日その日付は一日うしろへ動いていた。司書の束を広げた。分けられた文の最後の音節で切れていた。昨日その音節を読んだ。今日はその音節のうしろに、もう一つ音節が分かれていた。電信手の束を広げた。切れた電文の社員番号で切れていた。昨日その番号を読んだ。今日はその番号の終わりの桁が一単位増えていた。

四つの束がどれも育っていた。深さは深くなり、日付は先へ延び、音節は分かれ、番号は増えた。それぞれのやり方で育ったが、育つという点は同じだった。昨日、私は四つの束を完結した過去として分類した。完結したものはもう育たないから完結なのだ。育つものは完結ではなく進行だった。四つの束は過去の資料ではなく、いま育っている日誌だった。

四つの束の育ち方には筋があった。測量技師の深さは下へ育った。一単位深くなるたびに最後の測深の数字が増え、増えた数字は坑の底がそのぶん遠くなったという意味だった。灯台守の日付は前へ育った。一単位延びるたびに最後の潮時の日付が一日ずつ進み、進んだ日付はまだ来ていない日だった。司書の音節は横へ育った。一音節分かれるたびに最後の音節のうしろに新しい音節が付き、付いた音節は一つの単語がもっと細かく砕けたという意味だった。電信手の番号は終わりで育った。深さも日付も音節も番号も、それぞれの向きへ、しかしどれも最後の桁で育った。切れた場所が育つ場所だった。

切れた場所が育つ場所だというのが妙だった。切れは止まりのはずだ。一つの文が途中で切れたなら、その文はそこで止まったのであり、止まったものはもう先へ行かないはずだった。それなのに四つの束の切れた場所は、止まった場所ではなく育つ場所だった。切れが終わりではなく始まりの点だった。最後の測深から坑がもっと深くなり、最後の潮時から日付がもっと進み、最後の音節から単語がもっと砕け、最後の番号から終わりの桁がもっと増えた。四つの手はそこで止まった。四つの手が止まった場所は止まらなかった。

五番目の束を広げた。前任者の最後の行、前任者の社員番号に私の終わりの桁が付いた一行。その行も育っていた。私の終わりの桁が一単位増えていて、本文欄で昨日見た増え方と同じ増え方だった。本文欄の私の一行と五番目の束の最後の行が一緒に育っている。端末のなかの行と紙の上の行が同じ速さで。

移管目録をもう一度見た。司書長が昨日置いていった目録には、五つの束のほかにも移管する資料があった。営業停止になった会社から回ってきた箱、整理解雇で空席になった部署の残余資料。その目録の一行に資金部の資料があった。資金部の空席から集めた書類の束。その束にカン・ミンソクという名があるのかないのか、私は知らない。資金部がすべて空になったのがいつで、その空席で何があったのかを、移管目録は一行で書いていた。資金部残余資料一式。その一行も育っているのか、私は広げてみなかった。広げれば読むことになり、読めば広がる。

保存とは資料を育たないように止めておく仕事だと思っていた。収めて積んでおけば、積まれた資料はその状態で止まっているはずだった。けれど五つの束は収めたあとも育ち、収めているあいだにも育ち、収める手が最後の章を広げて読むたびに一単位ずつ育っているようだった。読めば広がるという一行を、私は保存するために昨日読み、今日その広がりを五つの束で見ている。

午後に司書長が引継書を受け取りに来た。最終記載内容の欄が空いているのを見て、まだ書いていないのかと訊いた。書こうとしたが資料が育って書けなかったとは言えなかった。最終記載内容は最後に記された内容でなければならないのに、最後がしきりにうしろへ動く。昨日の最後と今日の最後が違い、明日の最後はまた違うだろう。最後が定まらない資料の最終記載内容を、引継書は一つの欄に一度だけ書くようになっていた。

ほとんど終わったとまた答えた。司書長は、ほとんどという言葉は昨日も聞いたと言った。昨日ほとんど終わったという仕事が今日もほとんど終わったなら、そのほとんどは減っていないほとんどだった。終わりが一単位ずつうしろへ動くあいだ、ほとんどはいつも同じ距離だけ終わりから離れていた。測るほど坑が深くなるように、終わりを書こうとするほど終わりが遠のいた。

司書長が行き、私は引継書の最終記載内容の欄を見た。空いていた。空けておくのが保存の規則である欄があり、空けるほかない欄がある。作成者の欄は名を知らないので空け、最終記載内容の欄は最後が止まらないので空けた。二つの空欄が引継書に並んだ。受取人のない箱から始まった空欄が、作成者のないカードを過ぎて、最後のない引継書まで来ていた。

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