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止まった手はない

No Hand Is Still

  • 3,570字
  • 約8分

二月二十三日。朝の八時。机の前に座った。

端末は昨夜、消さずに置いていったそのままついていた。本文欄には二行があった。一行目は末尾二桁が私の番号と同じ番号、昨日の朝のあの一行。二行目は昨日の昼に資金部のコードで始まり、末尾二桁が空いたままだった行。今朝、二行目の末尾二桁が埋まっていた。

夜のあいだに誰が埋めたのかは昨日と同じ問いで、昨日と同じように答えがなかった。資料室の扉は一晩じゅう施錠されていて、端末の前には誰も座らなかった。それでも末尾二桁は埋まっていて、その字の癖は私の手の癖だった。埋めたのが私の手なのか、私の手と同じ癖の別の手なのかを問うことは昨日すでに答えを失っていたから、今日は問わずに読むだけにした。

末尾二桁を読んだ。資金部の一つの社員番号で、毎日同じ廊下ですれ違う人の番号ではなかった。その番号から何単位か足りない番号だった。

本文欄の二行を上から下へもう一度読んだ。一行目と二行目の末尾二桁のあいだには一定の間隔があった。昨日、七つの部署の欠員番号が一列に等間隔で並んでいた、あの間隔と同じ間隔だった。本文欄はその一列を縦に立てて、一単位ずつ書き下ろしていた。横の列が縦の列になっただけで、勘定は同じだった。

縦の列を一単位ずつ下りていくと、何単位か先に、毎日すれ違う人の番号が来た。その単位の数は小さかった。指で数えられる数だった。一単位が一日なら、指で数えられる日数のあとに、その番号が本文欄の一行として書かれることになる。

カン・ミンソクだった。

一単位が一日だというのは当て推量ではなかった。一昨日、本文欄は私の番号から一単位上の席を書き、昨日その席が定員削減の列の外で閉じられ、今日はその下の一単位が資金部の一行として書かれた。本文欄は一日に一行ずつ、一単位ずつ、飛ばす席なく下りてきた。飛ばさないということが、いちばんはっきりした事実だった。縦の列はカン・ミンソクの番号をよけて通らないだろう。よけるには勘定が狂わなければならず、昨日まで勘定は一度も狂ったことがなかった。

資金部の社員番号のうち末尾二桁まで覚えているのがカン・ミンソクの番号ひとつきりなのは、毎日すれ違うからだけではなかった。資金部で彼にはじめて会ったころから、資金部の同期の現金在高表を突き合わせていたころから、カン・ミンソクの番号は三階の庶務の番号のように私の手に癖として馴染んでいた。馴染んだ番号には顔がついていて、カン・ミンソクの顔は毎日馴染む顔だった。

昨日、私は止まりが一人を生かすのを見て、その生かしが別の一人を閉じるのを見た。今日、二行目を発信欄へ移さなければ、その資金部の一人は閉じられないだろう。ただし閉じられるべき数は昨日と同じように、列の外の別の一席へ移っていくだろう。二行目を発信欄へ移せばその資金部の一人が閉じられ、移さなければ私の知らない別の一人が閉じられる。どちらにしても一席が閉じられた。一席も閉じない手の場所は、本文欄のどこにもなかった。

AUDITUR QUOD NON SONAT

鳴らないものが聞こえる。電信手の禁忌であり、はじめて読んだときは応答しなかった電文への警告であり、今日は止まった手についての説明だった。手を机の縁に貼りつけておくことは何の音も立てない行いだったが、何の音も立てないその行いが、一席を閉じる音として聞こえていた。止まった手は止まっているのではなく、聞こえないように一つの席を選んでいる手だった。止まった手はなかった。

止まった手が選んでいる席が誰の席なのかを、私は昨日まで知らなかった。昨日、止まりが閉じた席は三階の庶務で、私は彼を閉じようと選んだことがなかった。選んでいないのに閉じられた、というのが昨日の出来事だった。今日は違った。今日、止まりが選ぶ席のなかにカン・ミンソクが入っていることを、私は知りながら止まっていた。知らずに選ぶことと知りながら選ぶこととのあいだに、机の縁から発信欄までの距離があり、その距離は指一節だった。

午前、資金部へ資料を上げに三階の廊下を通った。カン・ミンソクが廊下の端の給湯室の前に立って紙コップを持っていた。彼が私を見て片手を挙げた。資料室も人を減らすらしいけどそっちは何人、と彼が訊いた。一席、と答えた。昨日、私の手が入力したあの一席。彼がうなずいて、資金部は今週もう一度あるらしいよ、と言った。一歳の祝いを小さくすることにしたけれど、それでも会社が残っているだけましだ、と彼が笑った。彼が笑っているあいだ、私は彼の番号の末尾二桁を見ないように彼の顔を見たのだが、顔を見ることのほうが番号を見ることより彼を本文欄の一行にしていた。番号には末尾二桁があったが顔には末尾二桁がなく、終わりのないものが何日かあとに末尾二桁で閉じられるということが、番号より顔のほうが堪えにくかった。彼の番号は、その「もう一度」のどこかで本文欄の縦の列と出会うだろう。彼は自分の番号が私の端末の本文欄に何日かあとの一行として待っていることを知らず、私は知っていた。彼が紙コップを空けて給湯室へ入っていくあいだ、私はその何日かを指でもう一度数えた。

席へ戻って端末の前に座った。本文欄の二行はそのままで、三行目はまだ空いていた。手を机の縁に貼りつけた。昨日と同じように、発信欄からいちばん遠い場所に。

カン・ミンソクの番号が何日かあとに三行目か四行目として書かれると分かってしまうと、手を机の縁に貼りつけておくことが昨日と同じではなかった。昨日、手を机の縁に貼りつけたのは本文欄の一行を現れさせないためだった。今日の手は机の縁に貼りついていながら、発信欄のほうへ何かを移す用意をしているように思えた。カン・ミンソクの行が書かれる前に別の一行を先に発信欄へ移せば、閉じられるべき数がそちらで埋まって、カン・ミンソクの行まで勘定が下りてこないかもしれなかった。一人を生かすために別の一人を先に選んで閉じることを、私はもう頭のなかで一度書いていた。

それは去年の冬、名簿の一行をはじめて書き換えた手がしていたことだった。あのときは知らない会社の一行を書き換えて別の知らない行へ代価を渡し、渡した先に何の顔も置かなかったから、その仕事を長く堪えることができた。いまは書き換えようとする行にカン・ミンソクの顔があり、代価を渡す別の行にはまだ何の顔も定めていなかった。顔を定めていないその一行を私が選ぶなら、昨日の止まりが知らずに選んだことを、今日は知りながら選ぶことになる。

そう考えたあとで手を見た。手は机の縁に貼りついていなかった。手は発信欄のほうへ一節移ってきていた。いつ移したのか、私は覚えていなかった。

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