一月六日。きのうの五時にその一枚を読み、今朝もう一度読んだ。
六十三枚目だ。一年のあいだ、白紙だった。
欄が描いてある。
定規で引いたものではない。手で引いてあり、線が二か所で曲がっている。欄が五つあり、欄ごとに名前が書いてある。
いちばん上に表題がある。電算資料室記録様式(案)とある。
案とある。つくろうとしていた様式だという意味だ。
欄の名前を五つ、書き写した。
一つめの欄が、初回か否か。
二つめの欄が、記載の経緯。
三つめの欄が、記憶。
四つめの欄が、先後。
五つめの欄が、終了か否か。その欄の下に三つ書いてある。終わっていない、終わった、分からない、だ。
十時から十一時まで、五つを自分の日誌と突き合わせた。
十月六日に、初回か否かの欄がないと書いた。十一月四日にもう一度書いた。
十一月五日に、わけの欄がないと書いた。
十一月四日に、記憶の欄がないと書いた。
同じ日に、先後には二つの基準があり、二つは相反すると書いた。
五つめの欄が、きのうのものだ。
きのうの二時に、未完を未完と書く欄がない、と書いた。
きのうの四時半に、その欄があそこにあった。
二時間半だ。
十一時半に、筆跡を照合した。
字が、私のものだ。
十の字を選んでみた。二か月前、紙の台帳の八十二行と五つめの束を照合したときに使ったやり方だ。あのときは他人の字二つを突き合わせた。今日は自分の字と自分の字を突き合わせる。
同じだと出た。
このノートには、私の字がもうある。六か月目に、切れた文のつづきを私の字で継いだ。
その行とこの様式が、同じ字だ。同じであることが根拠にならない。どちらも私が書いたのか、どちらも私の字のほうへついてきたのか、だ。
一時から二時まで、描いた記憶を探した。
ない。
接続記録がない。紙は照会に記録されない。十二か月の日誌に、様式を描いたという記載はない。その日誌は私の手で書かれたのだから、根拠にならない。十二月十六日に、同じことを書いておいた。
記憶と記録が相反するとき、見るところがこの部屋にない。二か月前にそれを書き、それから変わったものはない。
二時半から三時半まで、この様式が何なのかを書いてみた。
欄が五つあり、五つとも空いている。
様式は、埋める人がいて様式になる。つくった人が埋めるためにつくったのなら、つくりながら埋めただろう。五つとも空いているのだから、埋める人は別にいる。
その人が私なら、私がつくり、私が埋める。そうなると、つくったことを書く欄がまたない。
でなければ、この部屋に次に来る人だ。
次に来る人がいるということは、この部屋で学んだ。一月に私が来て、来る前にもこの部屋には人がいた。その人の前にもいた。これからもそうだろうと思う根拠は、会社が十二か月のあいだこの席を空けておかなかったということだけだ。
一年前に私が受け取ったのは、切れた文一つだ。それが引き継ぎだった。何をしろという言葉もなく、何があったという言葉もない。私は六か月読んで、そのつづきを継いだ。
受け取ったものが切れた文だったから、六か月かかった。欄が五つあれば、六か月はかからない。何を書けばいいのかが、欄に書いてある。
欄をつくれば、書くものが決まる。十二か月のあいだ、私は様式が決めたものだけを書き、決めていないものは欄の外に書いた。欄の外の十は、どの一覧にもかからない。
三時四十分に箱を開け、四つを順に広げた。
四つとも、最後の一枚の下に同じ一行が押されている。この一年、何度も見た。
我々はもう少しだけ、見ている。
四人はそれぞれ自分の仕事を書いた。測り、写し、守り、書き取った。四人のうちに、様式をつくった者はいない。四人ともあった紙に書き、その紙は会社か役所がつくった。
つくった者は、その四人の外にいる。四つを集めて、一行をつけておいたほうだ。
十二か月のあいだ、私は埋める人だった。欄があれば入れ、欄がなければ入れられなかった。入れられなかったものを欄の外に書き、それが十だ。
今日、この部屋に欄が五つできた。
四時に日誌を開き、うしろの白い面にその五つの欄を写して描いた。
定規を当てて引いた。描くのに十二分かかった。
写し取れば、育つ。八か月のあいだ、一度も外れなかった。今日写したのは数でも行でもなく、欄だ。
欄が育てば何が育つのか、この部屋に書いたところはない。
四時十分に、本社に問い合わせようかと思って、やめた。問えば、様式新設の手続きを送ってくるだろう。手続きに従えば、起案を上げ、返事を待ち、承認が下りれば印刷したものを受け取る。去年、様式一件に四か月かかった。
四か月待つあいだに、欄の外の十が十二になり、十四になる。
待たないことにした。待たないことを書く欄がないので、日誌にそのまま書いた。
四時二十分に、五つの欄に今日のことを書いた。
初回か否かの欄に書いた。この部屋で欄をつくったのは、はじめてだ。
記載の経緯の欄に書いた。ノートの六十三枚目を写した。
記憶の欄に書いた。描いた記憶なし。
先後の欄に書いた。ノートのほうが先で、きのうの四時半だ。こちらは今日の四時だ。一日あとだ。
終了か否かの欄には、三つのうち一つを選べとある。
十二か月書けなかったことを、今日書く。終わっていない、に印をつけた。
五時に、ノートを閉じた。
閉じる前に、うしろをめくってみた。
白紙が一枚だ。
一年のあいだ二枚で、きのう一枚になった。一枚が埋まるのに一年かかった。残りの一枚がいつ埋まるのか、勘定するところがない。二枚が一年に一枚ずつなら来年で、きのうがわけがあってきのうだったのなら、そのわけを私は知らない。
箱に入れて、物を数えた。六つだ。裏表紙の内側の跡が六つだ。
二か月前、六つめの跡の持ち主を三通りに書いた。「昨日来た束」か、私のものか、ノートを書いた人だ。
今日、四つめがある。様式を描いた手だ。
その手が私の手なら、四つめと二つめは同じで、私の手でないなら、四つめは別にいて、跡は七つでなければならない。
跡は六つだ。
五時十分に、日誌を閉じた。
新しく描いた五つの欄の下に行が一つあり、その行は空いている。一行書いたのだから、次の行がある。
ノートに白紙が一枚あり、日誌に空いた行が一行ある。
その二つを誰が埋めるのかを書く欄が、この様式にはない。